どんどん運が良くなる方法 !ラッキーすぎるコロナウイルスの春嵐

今回のコロナウイルスが日本に来てくれたおかげで、私はかなりラッキーです。

 

中国輸入では大打撃を受けているにもかかわらず、大ラッキー!

 

なぜか?

 

それは自分の中で一番嫌だったイベントを回避することが出来たからです!

 

いや~、絶対にいますよね。

 

私と同じような人。

 

色々なダメージを受けている人は怒らないで欲しいです。

 

私も収入減ですし、これから!って時に経済的に大きなダメージを受けているわけで、その点は本当に痛い!

 

同様に色々な労働者がダメージを受けているはずです。

 

この点、本当に私も同じです。

 

本当に痛い。せっかく中国側にお金も入れといたのに動かせなくなって本当に苦しいです。

 

その他、今回のコロナに関連してお金がどんどん消えていってます。

 

しかも、私の場合は何らかの制度の救済対象にすらならないでしょう。

 

まぁ、世の中そういうものです。

 

いつもそういう部分が必ず出てきます。

 

私と同じような人もかなりいるはずです。

 

本当にヤバい。明日のご飯がなくなって死ぬ人も出てくることでしょう。

 

でも、この記事を読めば大丈夫!

 

そういうことを書きたいと思います。

 

今回、コロナのおかげで私は一番嫌だったことを避けられました。

 

これは自分の中では本当にラッキーでした。心の底から嫌だった。でも境遇から避けられないことがあったのです。これを避けることが出来た。

 

本当に運が良いと思います。

 

社会とか世界が混乱して不運に見舞われているタイミングに、自分だけはラッキーでも良い!

 

振り返れば、私は人よりも明らかに運が良いと思います。

 

ラッキーなのです。ラッキーすぎると言ってもいい。

 

それぐらいラッキーです。

 

自分の中では世界で一番ラッキーだと思っています。

 

なぜ、自分はこんなにラッキーなのだろうかと考えたのですが、一般的な視点ではよく分かりません。

 

物事の受け取り方の違いが根本にあるのだろうかと考えたこともありましたが、そうでもない感じが確かにするのです。

 

私のラッキーは、必ずどこからか運ばれてくる。

 

仮に、どんなに不幸な出来事に遭遇しているように見えたとしても、私のラッキーはいつも必ず私の前に表れてくれる。

 

必ずそうだったし、今回もそうでした。

 

なぜ、ラッキーなのかについては分かりませんが、自分に人と違う部分があることは知っています。

 

それが関係していると自分では思っています。

 

それは私には保身が無いことです。

 

周囲のために義務的にやっておくべきことを整理することはありますが、自分のための社会的な保身は全くないです。

 

それが原因になったためでしょうか。

 

若い時には、次の日に食べるためのお金が全くない状況に陥ったことも何度もあります。

 

今回のコロナでもこういう人が出てくることでしょう。

 

私もそういう経験を何度もしているから大丈夫だと思っているところがあるのでしょうか、サラリーマンが持っているような社内での保身活動などは全く興味がないです。

 

よって、私はどこに勤めてもサラリーマンとして長く生きていくことは出来ないでしょうね。

 

私のように保身がないと他人からは損をするように見えると思います。

 

確かに、明らかに損することがあるのです。

 

会社では損だらけになるでしょう。

 

でも私の中では、損した方が良いと確信するタイミングがいつもあるわけです。

 

それでその心のままに行動していると、超ラッキーなことになぜか巡り合う。

 

世界はそうなっているのでしょうね。

 

本当に不思議です。

 

保身がないことが大切なら、保身に満たされた人とか、有力な組織や有力な人に媚を売っているような人との関係を切り捨てた方が良いのかもしれません。

 

運が悪くなりそうですからね。

 

ただ、目の前の現実だけを見ていると切り捨てるとかありえない。

 

単に損をするだけですからね。得することも何も見えてこないはず。

 

だから、馬鹿じゃない?って話になるはずです。

 

でも、なぜ私がその馬鹿だと思われる選択をするのだろうかと考えた時に、何かに突き動かされている絶対感覚みたいなものがあるんですよね。

 

だから無理に保身から逃れているわけではなくて、そちらの方が良いという感覚的確信があるだけ。

 

もちろん、損している部分があるよねってことは認識しています。

 

でも、それよりも重要なものを確かに感じている。

 

明確に言葉にしているわけじゃないけれど、自分の中を貫いている光の柱のような部分。

 

これが絶対にNOだと感じれば、NO。

 

これが原因でバカな選択やバカな行動を取っているように見えてしまうことがあると思います。

 

そのバカな行動を続けているとラッキーがどんどん引き寄せられていくような感じがします。

 

馬鹿なのにラッキー!これって周りから見ると腹立つ感じになるわけです。

 

ただ、超真面目で計算高いのに、なぜか不運続きで暗い!って人よりは全然いいじゃないですか。

 

実際、超真面目に頑張り続けて、安全な道、つまり保身生活を何十年も貫いていた人でも全く想定していなかった大災害に見舞われて一瞬で人生が暗転する不運に見舞われる人も沢山いるわけです。

 

ほんと、人生なんて分からないもので簡単にチャラになっちゃう。

 

保身は保身を引き寄せる。

 

そういうことなんだろうと思います。

 

つまり皆が取っている選択に合わせていると運が悪くなる。

 

どんどん運を良くするためには、周りを信じるのではなく自分を信じる。

 

馬鹿だと思われるほど、信じ抜くことにあるのかなと何となくそう思います。

 

私の場合、意識して信じ抜く!というよりは、頭から背中を貫く光の柱のような存在には絶対に背かない。

 

その存在を無視することはあり得ないので、常に目の前のことだけではない判断基準が自分の中に存在しています。

 

それが運の良さの源泉だと自分の中では確信しているところがあります。

 

でも、一般的な説明が出来るわけじゃない。だから、分からない!と言ってしまうことになります。

 

目に見えるような形での確かな事は全くないのですが、光を明確に意識しているときほど、どんどん運が良くなっている気がします。

 

そう。どんどんラッキーになっている。そういう感覚的確信があるのです。

 

一般的な物の見方をすれば、何の根拠もない話です。

 

ですが、そもそも運が良いとか運が悪いとかいった話も同じ種類の話として捉えられることが多いと思います。

 

何の根拠もないけど、何か説明できるわけじゃないけど、確かに私は超ラッキーなんですよ。

 

仮に会社内でこんなことを言っていたら「バカ」として認知されてしまうことでしょう。

 

そのバカは見えないものを見る能力があるのか、本当のバカなのか、どっちだ?

 

もちろん、これも一般的な視点に立つと自分でも分からないのです。

 

分かっているのは感覚的な確信があるだけですから。

 

だから、それを「バカ」として処理されても全く問題ない。本当に自分でも分からないわけですから。

 

でも、自分は超ラッキーで超ハッピーな世界を生きている。それだけで良い。

 

この境遇に心から感謝しています!

 

本当にラッキーすぎて、幸せすぎる。でも、もっともっと!という思いある。

 

それで、どんどん運が良くなっているのかもしれません。

 

バカでラッキー!それで良いです。

 

コロナウイルスですら、私にとっては超ラッキーな道を与えてくれた太陽です。

 

病気ではなく、温かい力を感じます。

 

私の場合、他の人が持っているような保身がない。それがまず一つ。

 

それから、運が良い人の話をYouTubeで聞くと、さらに運が良くなる感じがします。

 

基本、運が良い人の言うことしか聞かない方がいい。

 

運が悪い人の言っていることは、だいたいどこかで間違っているからです。

 

それで暗い。

 

これが特徴です。

 

理不尽に感じるかもしれませんが、正しそうでも暗い人の言っていることは基本、目の前のことしか見ていなかったり、自分のことだけ話していたりするものです。

 

そっちに行かないこと。

 

これも運がどんどん良くなる理由である気がします。

 

運の良い人しか周りにいない環境を作る。その人たちの言葉を大切にする。

 

もちろん、嘘を付く人、盗む人、騙す人、つまり詐欺師相当の人とは絶対に縁を切る。

 

そういうことで環境を整えることも大切だと思います。

 

【運が良くなるポイント】
・社会的「保身」から逃れる。感覚的確信に従う。
・運が良い人しか周りにいない環境を作る。嘘を付く人、盗む人、騙す人とは絶対に縁を切る。
・運が良い人が発する言葉を大切にする。