帰る家が無い人。実家に帰りたくない人。貧乏の理由。
目次
帰る家が無い、実家に帰りたくない。背景には何があるのか。
最近、「家」という枠組みに以前より興味を持つようになりました。
「家」が人の生き方や精神、社会的な振る舞いに大きな影響を与えていると強く感じるようになったためです。
親元を離れて生活する人でも、実家に帰りたくないという人って多くなっているような気がします。
そもそも、両親が離婚した後に父親が死去し、母親が再婚しているというケースでは帰る家が無いと感じることになると思います。
両親が健在で仲良く暮らしている場合でも、多額の交通費まで使って帰りたくないと思う場合もあると思います。
さらに、交通費まで使って帰ったところで両親の暮らしている家が小さな間取りの団地だったり、小さ目の間取りのマンションだったりすれば、結婚している身で妻や夫と二人で泊るのはちょっと避けたいという気持ちになることも多いはずです。
団地やマンションだったら、そもそも夫婦で泊りにくいよねと私は正直そう思います。
そこに子供がいれば、なおさらです。
それでホテルに泊まるかということになれば、さらに多額の出費が必要です。
よって、そこまでお金を払って「帰りたくない」ということになると思いますね。
家のキャパシティが小さくなり、社会的な役割が小さくなった家に住む人が増えているということだと思います。
実家に帰るということは、そこに宿泊するということだと思いますが、それが当たり前に出来なくなりつつあるということだと思います。
もちろん、マンションであっても「億」の付くようなデカいキャパがある家なら話は別ですけどね。
それから、親が居なくても本当の意味で安心できる環境を得ている人であれば、「帰る家が無い」だなんて思って寂しい気持ちになることも少ないと思います。
安心できない環境に身を置いている人が増えているということでもあると思います。
(後追記)
音楽は力になると思います。
それが大事
日本の家が崩壊寸前 一人暮らし多数派時代へ
当たり前のように実家に帰って、ご飯を食べて風呂に入って、ゆったりくつろいでという「家」が少なくなってきているような気がします。
そこには家族の関係性に大きな変化が起きているのだと思います。
家族の状況は、それぞれに異なるため、一律にものを言うことで誤解も多く生じると思いますが、あえて端的に言ってしまえば、家族間での支え合い文化が小さなものになりつつあるということだと思います。
「家」がそれを顕著に示していると思うのです。
3世代同居型であれば、一人前にならないと嫁さんはもらえないみたいな空気は少なかったと思います。
親を経験しながら一人前になっていくという考え方です。
そして、家もはじめから用意されている環境です。
もし家が古くなれば、家族全員で建てるという心意気があったのだと思います。
親が子供の家を建てるのは当たり前で、それは自分の家でもあるということですね。
そういった家に、こんにちは!と言って入って行けば、『あら、○○君。お茶でも飲んでいきなさい。』と声をかけてもらえて少しの世間話をする。そういった社会的にゆとりのある要素を家に残している。
そういう家が少なくなっていると思います。
一人暮らしが多数派の時代において、親と子が分断された時代においては経済的に支えられないから、一人前にならないと結婚できないという気持ちになるのは当たり前で、それで「マイホーム」を手に入れたとしても、そこには多くの場合にゆとりを感じません。
そもそも、「マイホーム」という言葉がありますが、多くの人がローンを組んでいるため、形式的に自分の家になっているだけのもので、仕事を失って滞納でもすればすぐに差し押さえが待っています。
実質的にまだ自分の家ではなく、親がそれを支えるだけの財力も多くの場合に持っていないということです。
結婚が遅れて、少子化になっている一番の理由は「家」の崩壊にあると思います。
そんな社会環境下で親元でいつまでも暮らしていると、実社会では自立していない、甘ったれているという印象を持たれることが多いと思います。
それは、親の教育が行き届かず甘やかされて育って、世間の厳しさを肌で感じていない大人と、帰る場所を失い、実家もないとか実家に帰りたくもない貧しい大人たちが交錯するタイミングであることも多いのではないでしょうか。
効率の観点から、甘ったれた大人たちが仕事をしないかと言えばそうではなく、仕事以外は全て親がフォローするから無理が出来るという場合も多いようです。
こういった無理そのものを当たり前にする存在が、社会ではマネジメント能力の欠如につながり、無理な労働環境へと人を追いやっている現実もあることと思います。
そして、こういった甘ったれはモテないことが多い。よって、さらに晩婚化が進んでいるように感じます。
一方、貧しい大人たちはというと、結婚相手を見つけて結婚したとしても、無理な社会経済環境下で子供をもう一人と思っても、現実的ではないと判断することが多いようです。
多くの人たちが社会性を失った「家」に住むようになったことで、なぜ子供がいる家にだけ税金を投入したり、生活保護といっても親が近くに住んでいて親に持ち家もあるような家で、塾や予備校にまで行かせている家庭にジャブジャブお金を流すのかという疑問を持つ人も多くなっていることでしょう。
公平感のない税金投入に対する不信感やその空気感は、子供をあと一人と思っても現実的ではないと判断する一つの要素にもなっていることだと思います。
子育ての際に社会が冷たいと感じるのは、このような空気を生む仕組みがあるためです。
その仕組みは一見すると人情深くて大変良い事に見える。でも実際にはそうではないことが多い。
全てが悪い方へ進んでいるようにすら感じます。不公平感が募り、社会に対する感謝の感情も希薄になり、軽薄感、自己責任感で覆われた社会で、収入も不確実。子供は難しいと感じてしまうのは想像出来ます。
教育でも子育てでもそうですが、全ての人に公平感を持ってもらえるように努力すべきです。
だから教育は東京とか大阪のデタラメで私利私欲に包まれた教育無償化ではなく、ネット配信で全国民完全無償化。
国が統制すべきことです。これが出来ない背景に既に不公平感の温床があるのです。
子育て応援も全国民を底上げするベーシックインカム制度で国民全体で応援するという仕組みがベスト。
爽やかで涼やか、心地よい道を選べば良いだけですね。目先の利益ばかりを先行するから、ドロドロ感で満たされた変な無償化策になるのでしょう。
(後追記)
音楽は力になると思います。
それが大事
少子化対策をどうするべきなのか
そうであれば、「家」の機能を復活させなくてはいけませんね。
その機能の一つは一人前ではなくても、とりあえず結婚して子供を作るのが先だという空気の送出です。
そうはいっても、すぐには出来ません。
地方移住はこのきっかけになるかもしれませんが、既に崩壊したものを一から復活させるためには親と子の両方のパワーを合わせ持つような人でないと厳しいかもしれません。
そこに地域社会や国の取り込みを組み合わせないと、続かないこともあるでしょう。地方には20、30年以上経過した木造住宅を高額で売りつける商売もあるようなので、地方移住者はそこにも注意が必要です。
右肩上がりのバブル世代が作った家ですね。
誰も買わないバブル感覚の値段が付いていることが多いですが、それでもたまに誰かが買ってしまう人がいることで、こういった商売が続いているようです。
家を作る費用をフォローしたとしても、仕事が無ければ続きません。
一から何かを復活させるためには、家が担っていた少しの「ゆとり」が必要だと思います。
現実的には、ベーシックインカム制度だと思いますね。
一人前にならないと結婚できないみたいな空気感を社会から無くすことです。
20代で結婚しないって、ヤバイよねぇ~みたいな感じにすることでしょうね。
だから、多夫多妻制をオッケーとして社会で子供を育てるという、新しい家の形が求められると思います。
まぁ、誰も言わないので多夫多妻は今は無理だとは思っていますが。
それから独り暮らしの人が多くなるということで、ベーシックインカム制度の他に、ソフトウェア的なこと、狭い家でも人との交流が活発に行われるような取り組みや個人の努力も必要だと思います。
一人暮らしであれば、自分の部屋だけど半分は友人とシェアしている家みたいな感じの部屋を作る人が多くなっていくような気がします。
国の動きにも要注意で、外国人労働者を大量に雇い入れ続けていますが、その意味するところは、片方で仕事が増えて賃金上昇が進んだと言いながら、もう片方で実際には労働者の賃金上昇を抑えています。
実質的には貧しくなって、ますます日本の「家」を失う方向に力を注いでいます。
今の政治家によって、このようになっています。
その政治家たちが住んでいる家をしっかりとチェックしましょう!
「家」が破壊され続けている日本の現実とは全く関係ないところに住んでいることが分かるはずです。
その政治家たちを応援する言論人の家もしっかりとチェックしましょう!
現実をまずは見るべきです。まずは内閣総理大臣のお宅拝見から行いましょう!
結果は全然関係ねー!です。
帰る家がない。安心して帰れる家が欲しい。そして家を買うなら。
家を購入するというなら、「家」のどこを最も重視するのかを考えておくべきだと思います。
まわりがマンションを買っているから、私も早く買わないとみたいな気持ちでマンションを買ってしまうと、自分の虚栄心だけを満たしたマンションを買ってしまうことになりかねませんね。
私のオススメは、日本人の家が担っていた機能に目を向けつつ、現代社会に適応した防犯性能に優れた家です。
でも、細々とした点はやっぱり人によって好みがありますから、自分の好みをしっかりと見つめて家を選択した方が良いと思います。
それを先に言っておいて、私のことを書くとですね、、、やっぱり、マンション暮らしって貧しい感じの間取りが多いなぁという印象です。
一人で暮らすか、家族で暮らすかによっても全く捉え方が違います。
一人なら狭い部屋で十分です。
でも、夫婦二人だったら、四人家族だったらと考えると、急にマンションなら億ションレベルにならないと満足しないなと思うようになりました。
私はずっとマンション派だったのですが、こういったこともあって最近全く違う考え方になりました。
「家」の持つ機能を考えるようになったためです。
私自身、なんとなく広い家が良いなと思っていたのですが、家ってこういうレベルの話じゃないなと思うようになりました。
ようやく、家について自分の願望がしっくりとくるようになりましたね。
私は一戸建て派になりました。もちろん、一戸建てなら何でもよいというわけではないですけどね。自分の中でピッタリとイメージ出来るのは、やっぱり一戸建てだなという結論になりました。
最近までは完全にマンション派だったので、自分の変化に少々驚いているところです。
(後追記)
家の崩壊が進んでいます。それを示すもう一つの話題。
それが「成年後見人等選任開始の審査申立てについて」です。
ある日、あなたの家にも市区町村などから、このようなお知らせが届くことがあるかもしれません。
一人で暮らしている人が高齢になり、判断能力が低下していると判断される場合において、後見人対象になり得る親族全員にこのようなお知らせが届きます。
福祉サービスの利用など金銭面での管理を行う人が必要と判断されているのです。
このお知らせは判断能力の欠いた高齢者等の保護を目的にしています。
こういったお知らせが市などから来ること自体、本当に残念ですよね。
昔であれば、誰かが最後まで面倒を見て、見送ってあげることが出来た。
でも今は判断能力が無くなるまで事実上放置され、保護しないとマズイ!と市が察知して動いている実態があるということです。
週に一度とか二度とか、誰かが様子を見に行っている場合においても、一人暮らしである限り、このようなお知らせが必要になることも察することが出来ますけどね。
この時、多くの場合において、それでは市の方で審査申立てを行ってください、それで問題ないですという意志を示すことになると思います。
この意志に直面した時、家族ってもうバラバラなんだなと感じることになるのではないでしょうか。
だからこそ、この現実を見据えて動き出す必要があるのではないでしょうか。
それでも貧乏にならないために
貧乏な人の特徴、それは人の物ばかりを見ている人です。
いつもいつも人が何を持っているのかを気にしています。
こういう人と接して、気持ち悪いと感じたことはありませんか?
貧乏というのは気持ち悪さから生じるものです。見識のある人たちはこれを見抜きます。貧乏は恥です。
今、自分が貧乏であればその環境を変えるべきだということです。
自分の持ち物と境遇、環境に感謝して毎日を誠実に暮らしていくことこそ、貧乏から抜け出すための道です。
まずは、すぐに稼げることやすぐに資産化することに注力すべきではないでしょうか。
稼ぐことに関連して、最近急激に人気が出て評判の良い教材を以下でまとめています。一つの参考にしてください。
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