ホントに人生は一度キリなんだよ!楽しまなくてはいけない理由!!
次官の息子殺害とか、ホント何なのかな?って思います。
最近の事件に共通して感じること。
それが、社会が決めた「まじめさ」への異常な固執です。
社会の「まじめさ」を信じて、固執した結果、妬みで打ち抜かれて、保身で周囲が見えなくなって、殺人犯や自殺者になる。
バカらしいですよね~。
ホント、バカだと思いませんか?
こんなバカになるくらいなら、普段から小さなバカをやっておいた方が良い。
バカな自分を発散しておいた方が良い。
「無理だろ」、「不可能だろ」、そう思われるようなバカなことでも、本当にやってみたいことならやったら良いと思います。
殺人とか自殺するより、全然バカじゃないですからね。
桁違いにお利口。
殺人とか自殺とかね、ホント、そういうのはクソの話題です。
それでも学者とか評論家とか文化人とか警察関係者etc・・・の中には、色々真面目に分析しないといけない仕事をする人もいますけどね。
でも一般の人は、そんなことばかりしていられないはず。
殺人とか自殺とかする大バカ者を一つ一つ構ってられない。
そういうのが好きな人はやったら良いと思いまけどね。
で、どこにそういう大バカ者がいるかというと、最近の事件では超まじめな人に多いような気がしますね。
社会の「まじめさ」を信じて、異常に固執している人間です。
いますよね、「異常な真面目さ」を持っている人。
例えば、貧乏なのに無理しまくって、風俗でお金作って大学に行く人。
良い悪いについての意見はないですけど、このネット時代にスゲ~固執してんだな!ってことは分かりますね。
この強い固執から、社会に対して何かを頂戴ね!っていう思いが異常に強いことも見えてきます。
クレクレ根性に火がついて、強力な妬みの源泉になるでしょうね。
それから、社会の方針に従うこと、社会で生き残るためなら何でもする!みたいに、保身も異常に強くなりやすい。
こういう妬みとか保身ばかりが強くなると、どんどん社会ってダメになっていくんですよね~。
自分や周囲、世界が見えなくなるからです。
それを明示したかのような次官による息子殺害ですね。
保身で何でもしちゃうわけです。
次官って、偏差値社会の頂点にあるステージですからね。
保身がスゲ~強い人がのし上がりやすいわけです。
その保身で、自分の息子を10か所以上刺しまくって殺害して逮捕!
殺人犯となったわけなので、保身に満ちたつまらん人生だったと言って差し支えないでしょう。
ほんと、人生は一度キリなんですよ。
こんな人生ならね、丸山穂高の方がまだ全然良いわけです。
DQNな感じですが、こういう若手を誰もフォローしてあげられない社会になっていることからも何だか保身が非常に強い社会になっていることは感じますね。
私もね、酔っぱらって、周囲にとんでもない迷惑をかけたことが何度もありますし、酒が弱点だった身からすると、丸山穂高のDQN感は分かる部分がありますね。
酒を呑むと生殖器が刺激されてしまうので、丸山穂高のような下ネタ系の反応を示すのは自然の摂理にそった反応だとも言えます。
それを抑えられない奴は国会議員に向かないという話なんでしょうけど、そういう常識を突き破ってしまうほど、酒が効き過ぎたということでしょうね。
丸山穂高を強く否定したい気持ちも分かりますけど、彼を批判してばかりいる人は結局、保身ばかりになっていないか自己点検くらいはした方が良いかもしれない。
国が傾いているのは、その保身にあるわけですから。
彼の戦争発言だってね、彼にもっと経験値があればどうにでも処理できた。
最近は、ワールドクラスでも「そんなこと言ってない」で、明確に言っていることを片付けてしまう勢いだってあるわけです。
そういう現実との整合性もその場のムードに依存して切り捨てている保身マンの方が気になりますね~。
やるなら、ちゃんとやる!やらないなら、やらない!
ハッキリして清々しく生きたいものです。
そういう大らかな視野で丸山穂高を見れば、「まぁ、潰すほどのことではないやんか」という感じだと思うんですけどね。
他国と現地の人にだけ、ちゃんと謝罪すれば良いでしょう。
チマチマと理屈をこねまわしたかと思えば、相手が違うと結局何も言わないでスルーするわけですから。
結局、保身ばっかりの人が多いということです。
それだと、アレコレと理屈をこねまわしてくれても聞く価値もないですよね。
聞かなくても結論が分かるんでね。
つまらないわけです。
それでも、つまらないことを聞かないといけない人もいて、どんどん消耗していく感じ。
そんなところにいるくらいなら、その人たちから「バカだな!」って思われることを、バカっぽく、どんどんやったら良いと思いますけどね。
そうすると、今度は妬みマンたちが、なぜか「バカだな!」と言っていたはずなのに妬み始めているわけです。
スゲー!どこまでも妬むわけですよ、人間って。
自分が楽しんでないとダメってことです。普段からバカやっていないと妬みと保身で覆われていくはずです。
これは資本主義社会の賃金労働者が陥りやすいポイントですので、注意が必要。
バカなことをやれる力。
まぁ、遊ぶ力ですね。
人間、遊びがないとダメです。
そういえば、次官の件で言えば、殺人の前に暴力環境があったようです。
環境が非常に悪かったようです。
環境を変えることも、とても大切。
妬みとか保身とか、暴力とかね、そういうものが自分の人生に近付いてきたら、スゲ~つまんね~事ばかりをしてんだなって、スゲ~つまんね~考え方や受け取り方ばかりをしてんだなって、スゲ~つまんね~人と付き合ってるんだなって、そう考えれば良いわけです。
ですが、社会のまじめさに異常固執しているとですね、考えをさらに上塗りして強固にしようとしますね。
例えば、「これが社会の厳しさだ」とか、「万能感を捨てられないからツラいと思うんだ」とか、そういうことです。
どんどん、社会のまじめさに固執しまくっていくわけです。
それで、「社会はそんなに甘くない」とか「万能感を捨てられない子供のままだからうまくいかない」とか、そういう考え方を強固に持つようになるわけです。
社会が急激に傾き続ける中にあって、その考え方の先に暗くてつまらない人生、妬み、保身、イジメ、自殺、殺人が想定できます。
次官ですら、ここから自由にはなれない。
遊びが全くない人生だったんでしょうね。
次官で殺人、くだらねー!と思ってればいいわけです。
そこよりクダラナイことは何も無いでしょう。
だから、どんどん遊べばいいし、どんどん冒険したらいいと思いますけどね。
人生は一度ですからね。
輪廻転生や永遠の生命を想定したって、今のこの物理環境で過ごす人生は本当に一度なんですよ。
楽しく生きないと。
その楽しさを最大化するためには、やっぱり色々な経験を積まないといけないと思います。
時には、経験を不快に感じることもあるかもしれない。
でも、楽しみに包まれて生活していれば、それも前向きに捉えていけるはずです。
自殺したり殺人したりなんかしたら、もう終わりですからね。
正当防衛で殺人とかね、事前に考えている時点で殺人犯の思考ですから。
そんなつまんないことは学者とか言論人とか、そういう仕事の人に任せておけばOKで、何も考えなくていいわけです。
「いや!考えたい!」という人はそういう仕事に向いているんじゃないでしょうかね。
でもまぁ、楽しもうとして行動すると、結局、勉強が必要になってくることが多いと思います。
突き詰めると結局、勉強!
それで、対象に興味を持って勉強するようになりますね。
こういう部分が全くない状態だと、まともな勉強にならないんじゃないかと思います。
全部を見ようとしなくなるんでね。
自分の都合の良いところしか見ないようになります。
偏差値を追って、ステータスを追って勉強するとダメになりやすいのは、この点が大きく関係しているでしょうね。
それで、どんどん社会の真面目さに異常固執してしまいやすい。
でも、それは本当は不誠実で不真面目で楽しくない生き方なんじゃないのかな?ということです。
このように思っても、偏差値脳から抜け出せないと思いますよ。
だからこそ、バカか天才の話もしていたわけです。
天才じゃないならね、バカになるしかない。
人や社会には迷惑をかけたらダメですけどね、バカになったら良い。
遊ぶ時間ではなくて、遊びまくる!時間を作ったら良い。
何でも良い。
お金をかけても、かけなくても、どっちでも良いはず。
遊んでないと妬みとか保身とかが強くなるなら、遊んでない奴はクソ!ってことです。
それくらいに思って、遊びを極めていけば良いと思います!
楽しまなくては、クソ!になってしまうのです。
だから、楽しんで良い!
でも、偏差値感覚で仕事をする言論人はそのままの仕事ぶりでは全然ダメ。
社会の役立つとか立たないとかいう以前に、チャランポランなことはしてはいけないです。
チャランポランなことをして害悪を社会に垂れ流すくらいなら、いったん全部捨てて遊べば良いわけです。
そういう責任感覚を持っていないと一文の価値にもならないどころか、マイナス価値になることを自覚すべきです。
チャランポランタンなことをしている言論人は、クソ中のクソ!になってしまうのです。
参考:自由 × BRIDGESTONE(ブリヂストン) MTB26″ クロスファイヤー XF7(3x7s) [TXクロツヤケシ]という視点 解析レビュー
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