不労所得 親子関係と色々の関係と
2001年、夏。
大阪、十三。
アルバイトを終えた私が十三の駅に向かって歩いているところでした。
子供の叫び声、泣き声が聞こえてきました。
マンションの中からです。
立ち止まって、そのマンションの方をよく見ると、暗いマンションの一階部分で丈の非常に短いミニスカートをはいた女性の姿が見えました。
その女性の足の隙間からは小さな子供の姿も。
泣き声はその子供のものでした。
ミニスカートの女性は母親のようです。
その子供はパンツ一枚だけ。上半身は裸。
そして、裸足。
ずっと泣き続けている。母親も怒って何かをその子供に言っています。
少し、立ち止まったまま様子を見ていると、そのミニスカート女性は一人でエレベーダーに乗って消えてしまいました。
まだ、3、4歳くらいのその子供だけが置き去りにされて、泣き続けています。
「オイオイ。。。」、小さな声が一瞬出てしまいました。
ふと気が付くと、私以外にもその様子を見ている人が私の隣にいました。
50代くらいの女性二人でした。心配していたのだと思います。
誰でも入れるようなマンションだったので、私はその薄暗い陰気さが漂うマンションの中に入っていきました。
このマンションの中に入ると風俗店の広告などが沢山落ちていました。
SMプレイのためだと思いますが、女王様のような恰好をした人も奥の方の部屋から出てきて、別の部屋の扉を開けて中に入っていきました。
普通のマンションじゃないのねと、すぐに察しました。
その子供は足も汚れて黒くなっていて、顔にも足にもアザがあるようです。
だけど少し暗いためか、明るいところから暗い場所に入ってきたためなのか分からないけれど、よく見えない。
その子供の前にかがもうとしたときに、エレベーターの扉が再び開き、先ほどのミニスカート女性が出てきました。
その女性はすぐにその子に怒鳴りはじめました。
何を言っているのか分からない。
とりあえず、私は刺激しないように別の方向を向き、携帯をいじりながら気にかけてない素振りをして、様子をチラチラとうかがっていました。
その後、私の視線を感じたのか、その女性とその子はエレベータに乗って消えていきました。
こういった環境で育っている子がいるのかと、その時は少し考えさせられましたね。
自分の部屋に帰って、論壇誌を読んでいたときに虚しさのようなものを感じた記憶があります。
ですが、その後にも大阪で色々なものを私は見ることになりました。
その時の子が生き抜いていれば、もう成人している頃でしょう。
最近は論壇誌を見ていませんが、今も憲法改正の話題をやっていますよね。それは、その時からそうです。
上から下まで国家を感じ取っているからこそ、説得力や共感力が生まれるものだと思います。
そのような言葉でないと無理だねと私にはそういう感覚があります。
だから、政治にかかわる人にはその振る舞いも大切だと思います。
最近は、憲法改正という話題に触れること、これを論じること自体が、自分のネクタイの自慢でもしているかのように感じることすらあります。それは、そのときの言葉というよりも、振る舞い全体がそのように感じさせるのだと思います。
命をかけて日本を背負っていた世代の中曽根康弘さんがかつて発信していたような重みある言葉を発信することは無理があるのかもしれませんが、それでも軽々に扱うようなものではないし、良いネクタイを自慢するかのような空気の中で、その時だけ重々しさを身にまとい語ったとしても共感を得られるような問題でもないと思いますね。
それから、例えば「生活保護家庭の国立大学無償化」という話ですが、色々なものを見ている多くの人はゲンナリすると思います。
「下」を我々はちゃんと見ています!とアピールして支持を得たいのでしょう。
こういったことをしていると必ずしっぺ返しが来ることになると思います。
大阪で言えば、小学校に乱入して恵まれた家庭の児童を大量に殺害した事件が過去にありましたが、こういった要素にガソリンを入れているような行為にすら感じます。
だから、見識が大切。リーダーは上から下まで見えていないといけない。
見えていないなら見なくてはいけない。これはメンタル面でも負荷のかかることです。
一番下なんて、意識したくもない人が多いことでしょう。実際、普通に生活する人は見る必要なんかない。
でも、リーダーになる人は必ず見ないといけない。上も下も。
そして、右も左も全てです。それだけの器の大きさが要求されます。
核の歴史を経て、平和への努力が最優先。その中で万が一何か危険が迫ればその時に採用する選択がどのようなものであっても躊躇しないだけの度胸があること。
リーダーには、これが要求されると思います。
その躊躇の無さの大切さが意味するところは、多くの人にとって考えられないほどの非人道的な選択が可能性としてはあり得るということ。
だからこそ、平和への努力が最優先であり、その次にもその後にも優先されるべきだという歴史を踏んだ最低限の教養を身に付けていなければいけないと思います。
今の日本を見れば、上も下も全く見えていない。
右も見えていないし、左もまるで見えていない。
完全に盲目の道を歩んでいるようにすら見える。
だから、最大圧力、これ最優先などということになり、さらに本当は一番下ではない下の一部を見て可哀想にね、お金をアゲル!という話にもなるのでしょう。人の金でやらず、自分でやりなさいという話です。
さらに言えば、経済のことも分からないから、追加で発行するマネーと予算内のお金の取り扱いの意味するところが異なることも分からない。
チンプンカンプンで政治をしていると感じたら、さっさと降りたらよいのです。
実際には、日本の場合、上下左右が見えていても、この全てを使えるわけではない。
だから、少なくとも核について現実的な姿勢、完全否定しない言葉がない限り、日本の総理大臣は自分のすべきことをして、さっさと次の人にその座を引きわたすことが望ましい。これが国益を損なわないための選択だと思います。
この点はこれまで日本はうまくやっていたと思います。マズいのは今だけだと思います。
この件、私もあまり言ってはいけないことだとは思っていたけれど、たぶん大人は皆気付いているから言ってしまってよいでしょう。
それに、今の状況は株価にもかなりマイナスに働いていると思います。日銀がやっていることを考えれば、もう日経平均は3万円でも全く不思議ではない。新興も80年代バブル崩壊後の最高値を余裕で更新していてもおかしくないのに、その半値レベルです。
日銀オペの問題は別途ありますけどね。
政権側をいつも応援していれば保守であると勘違いしている層も分厚いようで、この国はいったいどうなるのかなという思いがあります。
話を戻して、不労所得の点から考えても親を持って生まれる以上、子供には必ず「違い」が生じます。
それは、器の違い。
健康、教育、精神、環境、容姿、動物的な能力。
虐待を受けて器自体を壊されて、傷を負って生きていかなければいけない人もいる。虐待は大人になってもフラッシュバックして、襲い続けることが多いと思います。
自分の器が壊されるなら、自分の器に降り注ぐ富を奪われたり器を揺らして受け取れないようにするなら、その人間関係はマイナスの不労所得です。
相手が親でも、例外にはなりません。
どんな間柄であっても、この世で関与すべきではない人です。
関係を断った方が良いです。これを社会が支える必要もあるでしょうね。
親だから・・・しないとなんてことは、お互いに思いやりがある中でのみ成立するものです。
これは社会でも同様で、どんなにスゴイ人であっても、どんなに有名な人であっても、自分の器を壊そうとしたㇼ、降り注ぐ富を奪われたり、騙されたりするなら、その人間関係はマイナスの不労所得です。
この点は見る目を養う必要があると思います。
不労所得の点から言えば、肩書や学歴、家柄、職業、お金の有無、これまで何をやってきたかなどを完全に無視した方がよいと思います。
誠実な関係を構築できて、自分の人生にプラスになるのかどうか。
さらに、良い影響も受ける一方で、悪い影響はないかどうか。
こういった点を見直して、自分との関係をブラッシュアップしていくと良いと思います。
自分を向上させるためには良い事をすることも大切ですが、そもそも悪い事を取りぞく方が大切だと思います。
健康も精神も良いことをするより、悪いことをしない方が手っ取り早いといった話はよく聞くことですね。
それから、本当は自分にとって大変価値ある人なのに、社会や他人に植え付けられたイメージによって、無価値であると思い込んだり、マイナスだと判断したりして、本当は受け取るべきが恵み(人生の不労所得)を受け取らないという分別のない行動を避けることも大切。
人を簡単に判断しないことです。もちろん、明確な悪意を持って関わってくるような存在については、即座に判断して関わらないことが大切ですね。
人はどの親から生まれたかで、人生の不労所得という点からも「違い」がはじめからあります。
でも、これは避けられない。生まれてくる限りにおいては。
だから、その後にしっかりと恵みを受けられるように自分で考えて行動することが大切ですね。
あちらに行けば、もっといいよ!と教えてくれた人がいれば、実際に行ってみれば良いと思います。
器の中に入るものが多くなるかもしれません。でも、少なくなるかもしれません。
自分で行動して改善していくうちに、器を一杯にすることが出来るかもしれませんね。
そして、ある時もしかしたら「器」がすでに一杯になって、どうしてよいか分からなくなることがあるかもしれません。
その時、それまでに誠実な歩みを続けてきた人は「器」自体が大きくなります。
もっと恵みを得ることが出来るようになるのです。「器」のデカい人になっていくのですね。
一方、そうではない人は、器から降り注ぐ恵みがずっとこぼれ続けることになります。
ある理由から、この状況を本質的に改善できる人はほとんどいないはずです。
だから、「過程」が大切だと思います。物質的にも、精神的にも。
「器」が極小のままで終わる人は「不誠実」の典型です。
他人の器に降り注いでいる恵みを見て、これを欲し、他人の器をどけて自分が得ようとする。
常に人のものを見るようになる。人を傷つけることや欺くことすら考える。はじめに自分から何かを与える心はなく、人のものを受け取ろうとすることだけに着目する。あたかも自分が何かを与えるような恰好をして搾取する。詐欺師の典型例です。
そうすると自分が本来受け取るべきものを受け取らないから、どんどん心が貧しくなる。
悪口や不平不満のかたまりになって、その後、今度は受け取るための手を出して、人に対して「お願い」だけをするようになる。
そこに自分から相手に何かをしてあげようとする意識はない。そして、物乞いだけをするようになる。
物乞いは、他の物乞いとの争いをして、さらに受け取るものを少なくして貧しくなっていく。
うまく騙し続けてお金だけを大量に得たとしても、「器」が大きくなることはなく、手にすることができる恵み、味わうことのできる恵みも僅かで、結局またいつも他人ばかりを気にすることになる。
こういった人が虚栄心から見た目の改善をしたとしても、本質的には人生をナカナカ変えられません。
なぜだと思いますか?
漫然と思い浮かんだ答えを思い、綺麗さっぱり全てを変えることが出来るなら、簡単な話ですね。
でも、そう簡単にはいかないと思います。
まだ、多くの人間がそういう世界を生きる生き物です。
器自体を変えられると思っている前提自体が誤っていますね。器は変えられません。
単に、学んで脳みそに思考ルートが一つ新たに出来て社会的なバランスが取れたような雰囲気を持って、上っ面の言葉だけを聞いて、「変わった」「反省している」と言っているに過ぎませんね。
その学びを得るために、誰かの器が犠牲になることなどあってはいけないことでしょう。
誰かの器が壊れているなら、子供が虐待を受けて帰りたくないと言っているなら、その子供の時々の情動発言で物事を簡単に判断すべきでもありませんね。
残念ながら、日本にも親と引き離さないと危険だという子供が沢山いると思います。親と出来れば別に暮らしたいと願っている子供も沢山いると思います。
そういった子供たちの多くが、大人になっても突如として過去の苦しみを思い出すことになるようです。身体的な面でケアが必要であっても放置され続け、慢性的な苦しみを大人になっても持ち続ける人もあることでしょう。
暴力などで受けたそういったものは、健康診断で異常とされるかといえば、そうならないことも多いでしょうね。
怪我をしたスポーツ選手でもそうだと思いますが、苦しみや痛みが長年にわたって慢性的に付きまとって生きていくことにつながってしまうことがあります。
親から子供へ暴行の場合には力の均衡が取れた中ではなく、圧倒的な力の差の中で行われるもので、逃げる場所もないことが問題ですね。
明確な言語活動を得る前の人生の初期段階で壊されてしまうことも問題です。
そういった子供が大きくなって、職を転々としながら何とか食いつないでいるときに、横からジャブジャブお金をもらい、子供達にはお金をつぎ込み塾に行かせ、予備校浪人までさせている生活保護の世帯に大学就学援助金を配布。
これが実際にあったら、社会は不安定化する要素を自ら新たにかかえることになりますね。
まぁこのようにして、色々の不見識がまた色々なサイクルを回し続けるというわけです。
そして、また色々な問題や犯罪が起きて、可哀想!なぜ保護できなかったんだ!助けてあげたかった!ヒドイ!なんて残忍なんだ!死刑にしろ!などという話になる。
降り注ぐ恵みの中で、自分の器の存在そのものについては、正当性を疑っていないのです。自分の器のことになると、全くの盲目になる。考えたくもない事象です。それが現実です。
だから、それから少し時間が経つと次はサッパリ忘れて、次のトレンド活動に移行する。
次のトレンド活動は憲法改正かもしれませんね。
言論人にとって長期トレンドに乗った外せない話題です。こういったことが続いているわけです。
トレンド人が悪いわけではありません。人間の営みは基本的にこのようなものだということです。この点で虚無感を広げようとするつもりもありません。
不労所得の点から言えば、自分が実際に関与していないことに着目することよりも、自分に降り注いでいるものから目を離さずにしっかりと受け取ることが大切です。
特に今、困難な状況にあるのなら、自分の目の前のことだけを見ることが大切。
私学教育の無償化とか、生活保護世帯に愛の手をとか、憲法改正が大切とか言いながら、いつでも自民党政権を応援することが「保守」であると思い込んでいる人たちも、自分たちの立ち位置について鼻を高くしているようです。
他人が作り上げたイメージの中で、そのイメージブランドを見せて自慢しているかのようにすら感じます。
このような人を見ている瞳は、単に反対側にいて違った種類の器を持っている人やブランドをうらやむ人だけではないですね。
そして、世の中はまた器のぶつぶつかり合いがはじまる。ただ、それだけのことです。
自分の幸福を考えたら、こういったサイクルの出来る限り「外」にいることです。可能な範囲での話になりますがね。
政治でも経済でもそう。多くの人がわざわざこれらのニュースに関与する必要はないはずです。自分が生き抜くことを最優先に考えるべきです。
苦労の中から這い上がってきた若い人は特に伝えたいことです。
多くが無駄な情報です。いや、無駄な情報しか出てきません。
メンタルが強く、図太い精神の本物が表れたら、無視していても必ず情報が耳に入ってくるでしょう。
それから、一般個人が見る必要もない「下」を無理に見ることはないと思いますが、不労所得の点から言えば、人と関わる限り「右左」の区分は意識しておいた方がよいと思います。
それは政治的な右左ではありません。
人の属性の話です。
どのような人間なのか高い視点で見分けることが人生の不労所得を考えても大切だと、不労所得マニアの私はそう思っています。
お金や、肩書や学歴、家柄等で見分けるだけではなく、自分にとってどうなのかという点です。
どのような相手でも、冷静に相手を右左で見分ける視点を養っておくべきだと思います。
それは、お金や権力など多くの人が人を判断する材料以外に、自分だけの視点も明確に設けることを意味します。
それは世間とは違う自分を作ることでもあります。
実際に自分の人生の不労所得を考えた場合に、この視点が抜きに出て大切なものであることも分かってくるかもしれません。
この視点がその他全てのイメージを覆す可能性があるからです。
この高さによっては、その先に全く違うものが見えてくる人もいるのかもしれません。
この点について書くと長くなるので、またの機会に書きたいと思います。
(後追記)
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