超ダサい人を大切にすべき理由
それだけではなくて、なんでこの靴なのかなぁ・・・ってこともありましたね。
「なんか、すげーダサい。」
そういうことに遭遇したことってないですかね?
私は結構あるんですよね。
せっかく新しいものを買うってときに、なんでその服を選ぶんだろうって感じることがありました。
カバンとか靴でも同様ですね。
奇抜なものとか少し変わったものとかでは、そんなことを思わないんですけどね。
明確に「ダサい」って感じるものについては、どうしても気になってしまうんですよね。
ちょっとダサいな。。。
というレベルじゃなく。
もう確信的にダサい!って感じる時の話です。
いやいやいや!!さすがに、それはダサいでしょう!!!って時のことです。
自分の選択としては考えられないような時です。
その上で、スグにダメになりそうなものや、機能面でもイケてないものだと躊躇なく止めに入るレベルの時ですね。
ホントにそれ買うの?
スグに飽きない?
使いにくいんじゃない?
ハッキリ言ってダサくない?
このように色々と聞いても、逆に確信的にこれじゃなきゃダメ!って意思表示があると、超えられない壁があることに気が付くことになるんですよね。
そもそも、自分が「ダサい」って思ってる世界観とは全く違った物の見方をしてるんだろうなと気が付くことがあります。
そもそも、その物をどういう世界観の中にあてはめるかによって、「ダサい」とか「ダサくない」が決まってくるわけで、逆に私の「カッコイイ」は全く違う世界の人にとっては、「スゲー、ダサい!」ってことになる可能性が当然あるわけです。
これは物販系をやり始めて明確に意識し始めましたね。
「本当にダサい!」ってことに遭遇すると、心のどこかで感性がちょっとイマイチな人なんだろうなとか、そういう印象をどこかで持っていたような気がしますが、何も考えずに自分の主観だけで、そういった印象だけを持ってしまうってことは本当に視野が狭いですよね。
で、どういう世界観でみんな生きているんだろうってところに、最近は結構興味を持つようになりました。
人によって全然違うんですよね。
色々な世界をリアルにイメージ出来るほど、人の欲しいものも具体的に把握出来るようになるはず。
今は、このあたりのイメージ力を集中的に強化していこうと思っています。
そもそも「ダサい」商品にも需要があるし、売れることを見込む製造意欲があるから販売されているわけです。
第一印象で「ダサい!」とか「あり得ない!」とかいう視点だけになってしまっている時点でかなり出遅れていますよね。
売れるのか、売れないのか。
問題はそこだけで良かったはず。
売れるだろうという見込みは色々な人の世界を知っているからこそ得られるもの。
だから、自分が知らない世界にいる人、特に「超ダサい」なんて思って遠ざけていたような人たちが
生きている世界を知ることは、学ぶことだらけのはず。
絶対にダサい!あり得ない!って思っているようなものを、逆に一番欲しい!と思っている人もいる。
この二人の好みの違いは、一つの商品だけにとどまらないはずです。
生活の色々な場面で色々な商品を選ぶタイミングがあると思いますが、そのタイミングのかなり多くで全く違う選択をしていることが予想できます。
だから、色々な世界観を知って先回りしておくこと。
これが物販では特に価値が生じる行為になると思います。
色々な価値観、色々な世界観を持つ人たちがいるからこそ、色々なビジネスチャンスを捉えられるようになるということでもありますよね。
ダイバーシティマネジメントなんて、言葉もありますが、大企業にとってはとても重要な視点になってきています。
日本で偏差値の高い学生を上から順番に取り揃えていった企業は、その単一性が強さにも、弱さにもなっています。
日本で多いのが、品質は良いけれど、デザインはクソレベル!みたいな製品とか建物とかです。
品質レベルが高いから重宝されてきましたが、そのレベルも安価な海外製品に追いつかれてきたため、他に勝負所がなくなってきた印象です。
さらに追い打ちをかけるように、品質レベルを下げて修理で儲けようとするビジネスに転換を始めていたような企業もあったようです。
顧客よりも目先の儲けに走ったということだと思います。
このような企業の特徴は偏差値で上から順番に人を取り続けることしかしなかったことがあると思います。
それで、価値観を固定化させて自分のカッコ良さだけに固執してしまったことがあると思います。
体制としても、そこを打ち破るような動きが出来なかった。プライドと保身に勝つことは本当に難しいと思います。
その難しさを乗り越えることが出来なかった。
だから、一つのカッコ良さは、他から見たら「超ダサい」ということがあり得ることを理解出来なかったんだと思います。
多様性を大切にすることが出来なかったということです。
大きな企業となり、多様な消費者に製品を届けるような企業になるほど、多様性を大事にできない会社は弱くなってしまいやすいということだと思います。
ダイバーシティマネジメントが企業の強さを維持する上でも非常に大切だと言われはじめていますね。
とはいえ、これから起業して事業を始めようとするときには価値観を一つにして、まず一つのことを突破できるようになるべきだと思います。
そのタイミングでは多様な人材は要らない。一つの価値観、一つの目標に向けて集中突破していけるかどうかが重要になると思います。
一代で大きな企業を築き上げたような会社ほど、創業者の創業時の価値観一つに影響を受けたまま企業が大きくなっていることがあります。
だから、大きい企業でも多様性を受け入れる環境という点では、かなり遅れている企業もあり、こういった点で強さがあるかと言えば実際にはかなり弱い企業になっていたというようなこともあると思います。
ダサいとか、ダサくないという話題から、物販力についてだけでなく起業力や企業力についても話が展開してしまった感じですが、それくらい「超ダサい!」と感じたときは色々なことを考えるきっかけとして面白いタイミングになるのかもしれません。
超ダサい人はビジネスマンにとって大きくて強い光なのかもしれませんね。
それは自分がダサいことを教えてくれる光。
その眩しさに耐えることが出来るかどうかで新しい世界を知ることが出来るかどうかが決まってくる。
やっぱりダサいだけだ!と、位置付けて目を背けることになれば、その世界のことは全く知らないまま時間が過ぎ去ることになるはずです。
それはビジネスをする上で不利になってしまうことしか考えられません。
結論「超ダサい!と思ったら神だと思え」