保守と進歩のナルシスト問題から導く個人の生き方、戦い方
保守と進歩に光を見出せなくなる理由
感謝の感情もなく、誠実さも偽装され、公平さも公正さも偽装された社会においては保守にも進歩にも意味を見出すことが出来なくなり、保守とか進歩などどうでもいいといった感覚、考え方に陥ることは想定できます。
そこからポジショントークが展開されるようになります。
正しい事が見えなくなり、誠実さの意味も分からなくなり、自然と乖離して感謝の感情も忘れ去ってしまうために起こることです。
これが知性面である程度のプライドを持っているような層にまで及び、社会は分捕り合戦の様相を呈していくはずです。
これが既に表れていると思います。
これ自体が「ナルシスト問題」でもあると私はそう思っています。
ナルシストは自分で形作った自己イメージ、自己思想への専心で満たされた状態になります。
そうなると自分以外の他者が見えなくなることが多くなります。
見えないだけではない。感じることが出来ない。
共感力が欠如して、理解力も欠如していくのです。
そこにポジショントークと分捕り合戦思考が人々を覆い始めています。
そこで何とか生き残ろうと、知性を売り物にする人までもが、お手軽3分クッキング的な炎上商法的言動ばかりをするようになっていきます。
そして、社会問題は放置されていきます。
この状況を思想の力で制御することなど出来るはずもありません。
なぜなら、動物的願望、肉的な願望にかられているからです。
そんな状態の人々にオススメするとすれば「超ダサい」奴から勉強するとか、例えば自分とは全然違う人を知ることでしょうかね。
高学歴社会を歩んできたような人であれば、普通の学校でいつも最下位だったような人はどういう人なのかを知ることです。
知らない。分からないのに分かったように感じている。
自分が知りたいように知っている状況にあるはずです。
ただ、街を歩いて人に話しかけても、それは多くの場合において自分の知りたいように知り、感じたいように感じることしかできないはずです。
今の自分から不快な状態、強く不自然な状態を感じることが出来ないからです。
それが「外に出ること」の大切さと困難を示していると思います。
そもそも、この不快を耐えることが出来ない。
自分の生きたいように生きて、感じたいように感じて、臭い物には蓋をして生きたい。
それが一番楽です。
実際に、それが一番心地の良い状態のはずです。
なぜなら、すでにナルシスト問題がまとわりついた人生を送っているからです。
そうではない状態であれば共感力が機能して、この偽装された心地良さを嫌がる。
なんてダメなんだということになりますが、そうはならない状態です。
社会全体がナルシストに覆われているということだと思います。
そして、そこに動物的な願望が結びついている限りにおいては、横から力で是正することは無理があるでしょう。
将来的な是正可能性があるとするなら、皆が感謝を感じることが出来るような環境を整備すること、インテリでありたいと願っている人であれば、自分とは全く違う人を知ること、環境だけを知るのではなくその状況と、そこから生じる感情を自分でも感じることですかね。
そういった見識の無い状態で、保守とか進歩など無意味だと騒いでいるような人たちが増えているようですが、お坊ちゃま感覚とお嬢ちゃま感覚を感じますね。
その感覚で保守の意味など分かるはずもなく、そこに光など見えるはずもないです。
まずは、そのナルシスを克服すべきだということです。
ナルシストの克服方法
ナルシストに陥ってしまう背景には、学歴絶対主義思想とか都市化生活があるように感じます。
ステータスとかプライドに浸ってしまったり、分からない環境や自然な感覚での環境認知が出来ない状態で生きていたりすることがあります。
そこから脱出できればいいわけですが、横から力で強制するようなことは難しい。
その環境から脱出することに何らかのメリットがあるようにして、それで希望してそこから出ていくような人を増やさないといけないはずです。
そうすると社会が健全な方向へ少しは向かうと思います。
そもそも、ナルシストは死に至る病です。
学歴絶対主義思想と都市化生活がナルシストを増やし、それが今は知性を売り物にするような人たちにまで拡大した以上、おそらく社会レベルでの克服はできないです。
自分を、まずは正すしかないはず。
もちろん、そこに問題があると感じている人だけになるので、そもそもが社会的な問題解決にはなりません。
個人的なレベルに閉じてしまうのです。
経済学と社会学の痛ましいほどの劣化の背景にあること
暗号通貨を捉えることが出来なかったり、今の社会問題の実情を発信することが出来なかったり、これらの背景にあることは原理的には「ナルシスト問題」を克服できていないことがあると私は思っています。
ナルシスト問題を克服して客観性を身に付けたかのように見せかけることは出来ると思いますが、それでも、心だけは客観性を常に維持出来ない。
そこから出ることが出来ないということです。それで何が起きてくるかというと、お手軽3分クッキング的な学者が台頭するようになります。
彼らは炎上商法的な発想で色々なことを言って客観性を示しますが、単に炎上を使うことで他よりも客観性があることを示しているだけで、同じ世界にいます。
驚きを先行している客観性に過ぎないということです。
これが極端な下ネタ発信の前提にあることです。
そこには劣化した知性しかないのですが、そのような人が今や優秀な大学で入学生に人生と社会を説いている現状があるそうです。
日本の隅々までペテンで覆われてしまった感がありますね。
個人に力を付ける時代
これまでの時代はラベルが重要でしたが、これからは変わってくると思います。
権威が個人に紐付けされることが多くなるはずです。
そして、人類はある日突然に、個人に制圧される日を迎えることになるかもしれません。
あり得ないことが起きる可能性があるということです。
つまり、個人の力が機能する範囲が圧倒的に大きくなる時代に入っていくはずです。
だからこそ、これからの時代を生きる人はナルシストを克服したいところです。
ナルシストのままだと機会損失が圧倒的に大きくなるからです。
しかも教育環境によって、半ば自動的にそのようになっていったのであれば、なおさらです。
仮にスーパーマンのような個人が出たとしても、ナルシストはナルシストのままのはずです。
社会を制圧するようなスーパーマンですら、ナルシストを制圧することは出来ないと思います。
なぜなら、スーパーマンと言っても、神様よりは下の能力しかないからです。
個人の願望自体を横から変えてコントロールすることなど、基本的には不可能ということです。
そういう意味で、ナルシストをスーパーマンが助けてくれることはないはずです。
よって、ナルシストで覆われた劣化した知性がぶつかり合い、そして傷付けあって、社会が崩壊して一から自分で自分を作り直す。これしか基本的に今は望みがない。
これが苦難の道ということです。
ですが、光りを感じている個人はこの苦難の道から脱しておけということですね。
無駄な時間を使うべきではないということ。
保守の光も見えない人々や、苦難の道を歩む人々からの罵声を慈しみの心で見守りましょう。
それだけでいい。そこで戦うだけの価値を感じられない時代においてはなおさらです。
現実問題として「飯」を食わないといけないのはいつの時代も変わりません。
美味しい飯を食う、心を朗らかに保つ、そして自分の知力を最大化する。
苦難の道では、この全てが閉ざされていきます。
冷や飯を食べ、サラリーマン消耗生活を続けて、勉強の時間はない。
国からの重税と年金徴収でエネルギー切れになっているところに、高齢者と生活保護受給者と医師と政治家と学者と官僚と公務員をホクホクさせる役回りで消耗するサラリーマン生活、国民生活。
どんどん困難になっていくはずです。
なぜなら、既得権で覆われた組織が多くなって、ホクホク感が至るところに出来上がっており、これを覆すようなことは出来ないからです。
だから個人はここから、どのように脱出するのかが一番重要でしょうね。光を感じた個人にとっては。
一方で、ナルシストはそれでもなお、自己専心から脱する願望すら持つことが出来ません。
それが苦難の道を避けられない人類の宿命を明示しているのかもしれません。
個人は、ここに意識を集中させてしまうとダメだと思います。
美味しい飯を食う、心を朗らかに保つ、そして自分の知力を最大化する。
そのために出来ることを少しずつでも積み上げていかないと、サラリーマン消耗生活行きとなり、そこで人生が固定されてしまうということです。
積み上げについて、当サイトでも色々なコンテンツを発信しているので参考にして頂ければと思います。
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