劣等感と優越感を利用して断捨離を完璧にする方法
それは自分にとって必要なものだけを残して、不要なものは捨てること。
それだけじゃない。
不要なものを手に入れないようにすること。
そのための選択基準や、この基準をしっかり支える価値観を手に入れることです。
価値観には人間の心が結びついています。
この心には劣等感と優越感がありますが、この2つが断捨離のネックになります。
この劣等感や優越感は他者との比較によってもたらされることが多い。
また、その比較のための物差しは、他人が作ったものを使っていることが多いはずです。
例えば偏差値です。
他人が作った物差しによる計測によって劣等感や優越感が生じている場合には自分にとって必要のない余分な劣等感や優越感を持っている可能性があります。
「劣等感をバネにして頑張る!」
「優越感を失わないため、もっと優越感を得るために、もっと頑張る!」
基準を作り、劣等感と優越感を創出することで、人々の心をうまくコントロールすることが出来る部分もありますね。
よって、劣等感や優越感を生み出す環境がうまく機能している状況もあるでしょう。
ただ、この劣等感と優越感から離れた視点を持つことが出来ないと、何歳になっても少年少女の時の優越感や劣等感を必要以上に引きずって生きることになります。
とりわけ成功した人ほど、とりわけ失敗した人ほど、ずっと引きずってしまいやすいのです。
極端な劣等感はへそ曲がりを生み出し、極端な優越感は慢心を生み出します。
断捨離すべき人間関係は、他人の価値観で生き続けている人、劣等感と優越感にいつまでも浸り続けている人です。
劣等感や優越感に浸り続けている人の特徴として、まず自分を見てくれ、まず自分の話を聞いてくれ、まず自分を心配してくれ、まず自分に興味を持ってくれ、まず自分に教えてくれといった感じで強烈な受取り側のスタンスに傾いてしまっていることがあります。
それを覆い隠している場合もあるのですが、極端なへそ曲がりや極端な慢心で察することが出来るはずです。
それから、善悪の価値観が抜け落ちたままの状態で、偏差値的な価値観や偏差値的な優越感を生きがいにして生きているような人が、極端に受取側に傾くと、簡単に「嘘をつく人」「盗む人」「騙す人」になるため、どこの社会階層でも変な人が出没するのです。
どんな組織でも一定数変な人がいるという件について、少し触れたことがありますが、その背景にはこういうことがあるのです。
このタイプの人は経験を積むことで、すぐに察知することが出来るようになります。
うまく組織に溶け込んでいる人たちですが、簡単に「嘘をつく人」「盗む人」「騙す人」になるため、すぐに見分けることが出来ます。
タブーですが、ある特徴が明示されているのです。
この点については書くことを避けるべきと考えています。
他人の作り出した価値基準による劣等感や優越感に翻弄されている人々は全て自己保身がそうさせています。
保身です。
劣等感で不安になったり、優越感を失うのではないかと不安になったりするのです。
それで内向きの意識が少しずつ増していき、つまり自己保身が増していき、徐々に受取り意識が増していくのです。
ベラベラと自分の話ばかりしている人はコミュニケーション能力が高いわけではなく、劣等感や優越感や自己保身が強いのです。
このような傾向にある人について、個人的にフォローすることは困難を極めます。
というか、出来ないと思った方がいい。
社会的な仕組みが是正されるにつれて、価値観が是正されていくことで解決可能になるか、本人が自分と向き合い続けることで自己解決するしかないことです。
よって、個人で出来ることは社会的な問題についての情報を発信をすることや、自己解決のための材料になるかもしれない情報の発信をすることのみになります。
そのような人間との個人的な付き合いは極力避けるべきです。無視しろという話ではないですが、良心ばかりが先行して、同情ばかりで出来もしないことに浸り続けないことが大事です。
自分から少なくとも関わらず、関わられたらヒントになりそうなことを伝える程度にとどめて、そこに時間をかけないことです。
そのヒントの提供を仕事にすることがあっても良いとは思いますが、そこに浸り続けると自分もそうなってしまうので前提としてかなりの勉強が必要と思います。
だから、医師などの専門家に任せれば良い。
基本、関わらなくて良いのです。
他人軸の劣等感や優越感に浸り続けている人との関係を断捨離することで自分軸の世界を広げていきましょう。
自分から出発する意識を持たないと断捨離はそもそも完了しません。
必要なものも不要なものも他人の価値観ではなく、自分の価値観で決める必要があるためです。
他人が作り上げた劣等感や優越感に浸っている人は、自分の断捨離がまず出来ないのです。
そういう人は断捨離も他人に合わせて行うことになります。
劣等感だけに浸った情報、優越感だけに浸った情報、これらも全て断捨離対象にすべきです。
YouTubeでも、こういうものが結構あります。
その価値観に浸りたい人々が沢山いるということです。
他人軸の劣等感や優越感という視点で世界を見渡すことで、自分にとって無駄な情報が沢山あることに気付かされることでしょう。
これらの情報はネット社会になってから生じてきたことでは、もちろんありません。
それ以前から、優越感に浸りたい人、劣等感を感じたくない人による情報発信は数多くありました。
常にこういうものを感じていた人もあることでしょう。
その点、今は情報発信の質が多様化してきたと思います。
とても良いことです。
他人軸の劣等感や優越感を前提にした情報を徹底的に排除していくことで、断捨離は完璧になります。
自分軸で生きるようになれば、自分に不足しているところが心と身体で明確に分かるようになり、(他人軸の)劣等感による不足や、(他人軸の)優越感によって自分が見えなくなるという点での不足から脱することが出来るはずです。
自分が必要なものだけを自然に手にしていくようになるのです。
自然体になるということです。
他人軸の劣等感や、他人軸の優越感を前提にして情報発信をしている人は、どちらのケースであっても根本にあることは「保身」になります。
どちらのケースでも他人軸での「自己肯定感」を他人にもっと高めてもらおうとしていることがあります。
その本質は自慰行為であって、経済成功者が銀座や北新地で毎晩飲み歩く精神状況と似ている部分があるのです。
悪い事ばかりではないはずですが、注意していないと他人軸を自己内に深化させてしまうことで自然体からかけ離れていきやすくなります。
かけ離れてしまうと、さらに断捨離が難しくなっていくのです。
とりあえず他人軸での劣等感や他人軸での優越感を連想させるものを全て捨てることです。
あるがままの心の状態を取り戻すためですが、これを出来る人がどれだけいるでしょうか。
断捨離を完璧にすることは時に狂気を伴う必要があります。
自己内に他人軸を深化させてしまっている人ほど、つまり保身が強い人ほど、狂気が必要になると思います。
ですが、そこを突破することが出来たら、あるがままの心を回復させることが出来るのです。
そこは自分軸の穏やかな世界になります。
物理的には同じ世界に生きていても、全然違う世界を生きることになるのです。
その世界で受ける他人からの刺激は、自分の成長につながることが多くなります。
自分軸で自分のことに気付かされることになるからです。
そうなると自分にとって必要なもの、不要なものも明確に捉えることが出来るようになり、物の選択も自分の世界で自分の価値観で行うことが出来るようになるのです。
これで断捨離が完璧になります。
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