2022年2月1日、石原慎太郎が亡くなった。

中曾根康弘、石原慎太郎。
この二人の明るさ、前向きな心意気。
本当に大きな力があったと思う。二人とも大きな感謝に包まれてこの世を去った。

この二人には同じ傾向性のあるメンタリティがあったけれども、全く異なる点もあったように思う。

内から強く解き放たれた愛国心を持つ中曽根と、子供時代に終戦を経験した石原。
国家レベルの愛に対する猜疑心や戸惑いの有無。ここに大きな違いがあったように思う。
つまり、明るさの強度に違いが明確にあった。

けれども、二人とも軸足は明るさにあり、人気があったのは間違いない。
特に石原兄弟の突出した明るさは時代が求めていたものだったのだろう。今の時代では存在できない奇跡の兄弟だったと思う。

石原慎太郎よりも、もう少し学年が下の子供たちは、敗戦のトラウマだけでなく、戦後教育の影響も強く受けて育ったため、彼らのような明るさを感じることが少なくなり、斜に構えた印象の合理主義的な思想、極端に懐疑主義的な考え方に傾倒するようになった人が多いように思う。

貧しさから金を追い求める選択のみが主眼となり、政治や宗教についての話題を遠ざけ、そこにいる人を軽蔑したり、そのような話題を話す人がいれば自分でやればといった主張を続けるようになっていったりした人が多いようだ。そこからさらに下の世代は、このトラウマ世代の影響を受けて、政治や宗教には全くタッチしない日常を好むようになった人が多いように思う。

トラウマ世代は、トラウマから脱却できない暗い心構えを持っていることが多く、つまり、明るさではなく暗さがそのトラウマ世代を覆っていたように思う。

その暗さから生じた保守思想や、その他色々な言論活動おいては常に暗さと猜疑心、他者よりも上に立ったように見せることが目立つ。結果として暗さばかりが増幅してしまった。

彼らのマウント型姿勢に覆われた正しくて合理的な考えの背景には常にトラウマだけが目に付くことが多い。暗さを感じるということ。心構えがまず明るさから明確にズレている。明るさを偽装しても、結局偽装しきれない。

明るさ、光を失った暗い言説などいくら論理的でも説得力は持たない。

この暗さが今では世代を超えて、偏差値マウント型エリート風〇カとなって明確な問題を引き起こしている。そう。偏差値マウント型エリート風〇カは、第2次世界大戦のトラウマ影響を間接的に強く受けていると私は考えている。

トラウマ世代の思想を持ちあげて、日本国保守思想の先生として持ち上げたり、知の巨人といった感じでマウント姿勢をサポートし続けたりしてしまう環境が今でもある。

このトラウマ世代の暗さは終戦後の貧しさも強く影響したことだろう。

心構えがズレたままで、正しい思想や意見などを語っても無力。否、負力だろう。明るさは誤魔化せない。ずっと光のないまま、明るさを偽装することは出来ない。政治や思想を遠ざけた環境で育てられたその後の世代からオウムが出現したのも、この国の暗い風に乗っていたということがあったように思う。

その後の世代は、さらに薄っぺらさが増し続けているようだ。

ロシアがウクライナに戦争を仕掛けているけれども、ここにもロシアの暗さがある。西側資本主義の影響があるように思う。西側との各種接触、取引で削り続けているものがあるのだろう。

日本を覆っている暗さ、これが世界でも別の形で見られるということ。
日本の場合、戦争で物理的に環境が破壊された後、資本主義の先鋭化によって富を得たが一方で、国全体で持つ明るいマインドセットを削り続けている。

これに拒否反応を起こすことなく育った人材の弱体化は否めない。結果、誰も尊敬しないどころか、見下された学者がゴロゴロ存在する状況に陥ってしまった。子供が通う小中学校、高校においてはさらに問題が進行している。

明るさの破壊がそこにはある。偽装された明るさならすぐに取り戻すことは出来るだろう。しかしながら、その軸足は暗さに置かれている。この状況を脱却するために必要なこと。それは教育はもちろんだけれども、教員自体がそもそも暗さの根源になっており、知の巨人のように社会が崇めているような存在でさえ、多くが石原慎太郎より年齢が下。つまり、トラウマ世代となっている。

だから、まずは環境改善しかない。

暗さは、トラウマ問題の他は、資本主義の先鋭化によるもの、つまり商品主義(コモディズム)の破壊への反応と見るべきだと思う。
日本の暗さも、世界の暗さも、トラウマや資本主義の先鋭化からコモディズム破壊を抽出すべき。

コモディズムが守られるほどに世界のルールは整っていない。つまり環境要素が大きい。
その環境要素は資本主義の先鋭化によって失っていくものであったわけで、ウクライナへのロシア侵攻についてロシア側に主問題があっとしても、西側にも問題がないわけではない。西側の対応についても少しでも改善しないまま進めば、世界は第3次世界大戦を経験することになるだろう。

軍事バランスは大切でウクライナもそれを見誤ったところがあるわけだが、仮にそれが整っていたとしても、何らかの形でロシアの暗さ問題に世界が直面することは時間の問題だったように思う。

日本でも同様にトラウマ問題への対処は時間の問題。

明るさへ、コモディズムを整理すべきタイミング。
労働、環境、貨幣の交換価値。
それから、世界規模で段階的に競争から協調の仕組みを金融にも適用していくべき。

日本においては、やはりベーシックインカムの適用についても早急に考えた方が良い。
企業や中央省庁を全国に分散させる仕組みも。それによって日本の富、日本の光は必ず大きくなる。
これを支えるスマートコミュニケーション分野への投資、各種物流網の活発化に向けた投資も重要。

10増10減はズレすぎでダメ!

それから、今の最悪想定もしなくてはいけない。
その最悪とは、ロシアが極悪!だけでなく、ウクライナも極悪というケースも含む。
地球に巨大隕石が接近してきたら、仮にそれが地球くらいの大きさであっても簡単に消滅させる程度の防衛力を目標にすべきだろう。

中曽根康弘、石原慎太郎。彼らの世代には確実にあった明るさについて問うボールを投げたとしても、そのボールすらキャッチできない。

全く違うボールを投げ返してくる。宗教と哲学の枯渇が明確にある。今はそういう状況下にある。

だから世界大戦は避けられないのかもしれない。見識ある政治家の活躍を祈るばかりだ。