本当の予言。それは確かなこと。必ず起こること。その理由。
当サイトの運営を始めた頃から、この思いがありましたが、明確な時代の変化に直面した今、個人的な何かを手放してもいいように感じています。
これから目覚めが強引に引き起こされていくからです。
よって、今後は書いていく時のスタンスを変えようと思っています。
ただ、一つだけ書き残したことがあるので、今回はそれを書いておきたいと思います。
「盗む」ことに関連した内容です。
これまで何度も取り上げてきた話題ですが、「盗む人」が世の中にはかなり多いです。
驚く人も多いはずですが、本当に盗む人は意外に多いのです。
しかも、男女関係なく存在します。
盗みの根本にあることを見極める上で、受け取ることと与えることの本質を見極める見識が必要になってきます。
例えば、子どもの頃「嘘を付いてはいけない」と教えられた後に、「嘘も方便」という現実が存在することも学ぶでしょう。
そこにあることは、自分の腹の欲望だけのために嘘を付いたのか、そうではないのか。
そういう事になりますが、受け取ることや与えることについても同じ視点を設けることが可能です。
クレクレ!という姿勢ばかりに偏ってしまう人が、自分の腹だけのために「おねだり」をしているのか、そうではないのか。そういう話になります。
社会的な役割がそこに存在するのか、そうではないのか。
社会的な役割があると見せかけているだけで、単に自分の腹の欲望を満たすために「おねだり」をしているのか。
もちろん、問題があるのは自分の腹の欲望だけのために「おねだり」をする人、この中でも「おねだり」が常態化している人です。
とは言っても、バレないようにプレゼントをまず贈る詐欺師ももちろん存在します。
ネタで演じているわけではなく、本当にいつも「おねだり」状態の人はほぼ盗む人になります。
盗む人は自分の腹の欲望に支配されているので、嘘は平気で付きます。
嘘と誤魔化しばかりの人生になって、嘘を付くことが人生になってしまうような人もいます。
それが詐欺師であり、家族や身内に対しても嘘を付き続けるような人です。
もちろん、そこにある嘘は自分の腹の欲望による嘘です。
その上、精神を安定させるために自分に対しても嘘を付くのです。
誰かのためになっているとか、神の代わりに盗んだとか、危ない発想を持つようになります。
これで完全な詐欺師の出来上がりです。
これが個人を想定した場合に起こることです。
詐欺師としての自分を誤魔化している人については、その人と同じような態度をして反応を見ることで明確な詐欺師判定が可能です。
詐欺師とそうではない人では明確な差が生じるのです。
実は社会という括りでも盗みが発生している場合があります。
その盗みは資本主義という名目で行われていることだったり、金融緩和という名目で行われていることだったり、その他にも色々なワードが出てきます。
よって、個人も社会もしっぺ返しが必ず発生します。
この視点を今のリーダーが持ち合わせているとは思えないので、特に東京や大阪を中心に今後も混乱や不運が続くはずです。
これは予言であり、確実です。
予言というのは不思議な未来予知ではなく、現在を正確に捉えている人の言葉に過ぎません。
超能力で未来が見えるわけではなく、1+1は?と聞かれて「2!」と答えているような話なのです。
だから、確実に当たるわけです。
ただ、ロジックが一般人からは見えない。それで非科学的なことに該当するわけです。
「そこを断定する?」と以前も不思議そうに未熟なスピ系の人が言っていましたが、不思議ちゃんと現実の間で戸惑ったり悩んだりするような内容のことについて話をしているわけではないのです。
東京と大阪、ここを中心にして日本はさらなる混乱に陥っていくはずです。
それは今後起こることではなく以前からそうだったはずですが、今後はそれがさらに大きくなっていくということです。
今回のウイルス騒ぎを前にしても、その大きな流れの意味をこの国のリーダーたちが誰も捉えていないからです。
だから、経験によって学ぶしかない。
学ぶべき内容は、受け取ることと与えること。その内容についてです。
そして、このタイミングが明確に到来したため、もう手放そうと思ったということです。
最近は、10万円一律給付とか住民税非課税世帯に30万円給付とかで、揺れ動いていたようですが、どちらを取っても不公平感は消えない社会にすでになっています。
今回はスピードを重視すべきですが、そのお金には社会的な「気持ち悪さ」がすでに顔を覗かせているということです。
今回の件はもちろん仕方ないですが、そういう気持ち悪いお金が社会に蔓延してしまっています。
政治家や公務員、生活保護、住民税非課税世帯、漁業者や農業者など制度からは見えにくい色々なポジション取りがすでに行き渡って自己責任発想を支える社会が出来上がっているためです。
だから、どこかで気持ち悪さが生じます。一律給付でも一部への給付でも同様です。
公平感が失われた社会になってしまっているということです。
そうなった社会では社会的ステータスで尊敬を得ることはできません。
実際、既にそうなっていると思います。
そんな社会で、気持ち悪さを感じながらお金を受け取る時には自己肯定感がさらに下がってしまいます。
その上、今回は「手を挙げた人に!」なんて言ってしまった人もいますね。
そういう「気持ち悪さ」が社会に蔓延していて、それで社会全体の自己肯定感も下がっています。
自己肯定感が下がったことによる不足感を埋め合わせるようにして酒やタバコや豪遊や偽装GIVEに心は向かっていきます。
それから自己肯定感はさらに低下し続けていきます。
それでココロに感謝の感情がなくなって、自分や他人や社会に対する不信感が募っていきます。
また、自己責任型の思考や、ポジション取りに終始する姿勢に違和感すら感じることのない人格が形成されていきます。
実際、「気持ち悪さ」よりも既に「おねだり」ポジトークで頭がいっぱいになっている人も多いはずです。
公平性の無さ、透明性の無さ、こういったものは「気持ち悪さ」を生み出すだけでなく、人や社会を劣化させてしまうのです。
社会全体を見渡すことが出来ていた世代が既にいなくなった現在、ウイルスが拡大するように、この劣化が急速に拡大しています。
この本質的劣化の方が本当はダメージが大きいと思います。
なぜなら、そのままにしておいた場合に改善することが全く見込めないからです。
お金をもらうとき、自分のココロが何を受け取っているかがとても重要です。
お金をあげるときも同様でココロは何を与えているのでしょうか。
今回の件では、上から目線で手を挙げたら仕方がないのでアゲル!一律給付の批判が噴出した状況で、周囲からの目を気にしつつ自己肯定感をさらに下げながら受け取る!
こんなことが起きていますね。
そもそも、受け取るお金はどのような社会の仕組みを前提にして、どのようなルールで、どのような親子関係や、どのような契約が前提にあって、どのような金融の仕組みや経済の仕組みの中で得たものなのか。
その背後には一体何があるのか。
個人も社会も、そういった根本的なことに目を向けなければいけない時期に来ているはずです。
それなのに、今でもそこから多くの人が目を背けたり、目をつむってしまったりしていることでしょう。
でも、もう大丈夫。
目を背けることが出来ない状況がついに到来したのです。
以上。
今後、この場で社会や経済、政治などに関連した話題を取り上げることは止めようと思います。そのうち思想周辺も含めてまとめて発信すると思いますが、その時期は未定です。
それでは!