世界No.1!ゾーリンゲンのハサミ。

ハサミの仕組みは見れば分かる。

しかも、形状も単純。

よって、大量生産が可能で100均でも沢山のハサミが販売されています。

このような安価なハサミで十分だという人も多いはず。

けれども、ハサミを使う仕事をする人にとっては十分ではないことが多いはず。

因みに、他の海外製品や日本国内メーカー品だけでなく、お洒落な国内ハンドメイド品も実際に使用した結果、やはり、ゾーリンゲンに勝るハサミは地球上に存在しない!

私自身はこの結論に達しています。

100均のハサミでも十分に切れるけれど、繰り返して使うとやはり安価品の顔がスグに出てくる。

当たり前ですが、短期で交換前提の商品です。

一方、ゾーリンゲンのハサミは一生ものと言っても過言ではありません。

その上、デザインが素晴らしい。

22金の上質なコーティング素材を使用したハサミは本当に美しい。

ゾーリンゲンはさみの現状

ゾーリンゲンのハサミですが、今もネットで販売されている商品もありますが、以前に比べると種類が少なくなっています。

ドイツのアマゾンを見ても同様の印象です。

私がデザイン面で気に入っている昔の商品はもう見かけません。

良い商品が失われつつあるのではないかと、ゾーリンゲンのハサミを使う度に気にかかります。

ただし、私自身はお気に入りをいくつも持っているので、今世で困ることはなさそうです。

ですが、来世でもまたゾーリンゲンのハサミに巡り合いたいので、やはり続いて欲しいものです。

そのために必要なこと。これらを整理しておかなければ。。。

昔の美しいゾーリンゲンはさみが欲しい人は、ヤフオクやメルカリ等のフリマサイト、中古品取扱い店舗等で、クオリティが高い未使用品レベルのハサミが出てくるのを待つくらいしか方法が思いつきません。

たまに良い状態のハサミがお手頃価格で出品されてはスグに売り切れになっているようなので、欲しい人は、通知設定等して監視しておくと良いと思います。

ドイツのアマゾンでも、もう昔のタイプの美しいハサミが無い!!!

一体、どうなってしまったのでしょうか。

22金ゴールドメッキで全て覆われた高価格帯のハサミだけでなく、スクエア型の指入れ部分がお洒落で使いやすいハサミ等、以前は美しい商品が多かったのですが今はもう見かけませんね。

これは何かがオカシイ!

ゾーリンゲン製と中国製、それから日本製

ドイツ、ゾーリンゲンで育ったブランドの中でも、今では中国や日本に製造拠点を置いているブランドがあります。

安さをさらに追求しつつ、クオリティが維持されることは、消費者にとってもメリットがありますが、一方で、そのような商品の模造品が格段に安い価格で生じやすい環境をつくってしまっている面もあると思います。

もちろん、模造品は品質面で見劣りすることが多いと思いますが、品質まで同レベルに近づいてしまった場合や、価格差の点から品質は少し劣るが模造品で十分だと消費者が判断する場合には、ブランド維持が困難になるでしょう。

よって、全体としては品質が劣化した商品が出回りやすい環境となり、さらに、お届けまでの梱包等も含めたサービス品質もブランドが消失することによって劣化しやすくなってしまうことでしょう。

多くのブランドが高価格帯路線ビジネス、つまりハイブランドのようにブランド価格設定分を増やして商売を成り立たせるような形の少量高価格帯ビジネスか、低品質な安価品の大量販売ビジネスか、生き残りにはこの選択が迫られています。

この中間的な立ち位置のビジネスを設計したとしても、長くは続かないことが多いはずです。

よって、ゾーリンゲン製のハサミも、1本10万円とか20万円とかで販売するようなビジネスモデルへ転換せざるを得なくなることが予想されます。

やはり、何かがオカシイ!

これが今の資本主義社会の問題となります。

劣化し続ける資本主義社会の根本原因

今の資本主義は資本が優先されすぎているため、商品について分析が追いついていません。

ゾーリンゲンの歴史を知れば分かるように、商品を形成するための「労働」や「環境」がまず最重要です。

「労働」や「環境」、この2つの要素に対して、十分な利益還元がされなければいけません。

そのための価格設定をするべきでしょう。

ですが、その価格を設定すると劣化品に勝てないという不思議なことが起こります。

最低限度の生活保障もない消費者が、命をつなぐために品質よりも安値を重視するためです。

命が一番大事だからです。

つまり、日本国憲法で保障されているような健康で文化的な最低限度の生活を送る権利を有する・・・といった感覚を日常のメンタルに落とし込めていない人が多数派になっている。

常に生命の危機を感じて生きている。実際に貧困の末に相談しても助けてもらえずに餓死してしまう人もいますね。

これが今の資本主義社会に共通する問題。

やはりベーシックインカム等を組み合わせて、最低でも十分に平穏に生きて食っていける。

そういう社会にしなければいけないということでしょう。

今は、人間としての尊厳を失ってまで生きたいとは思わない!と考える人は、生きていくことが出来ない可能性が十分にある社会となっています。

ゴミ箱のような腐った家ではなく、普通の家で健康に暮らしていける。

そういう安心感があって、資本主義社会は健全に機能します。

つまり、劣化品ではなく、良いものを求めるようになります。

より良いものを求める心が、より良い「労働」と「環境」を守るでしょう。

より良いところで働こうとする心が社会を健全にすることにも繋がります。

サラリーマンも不安でいっぱい。このような不安や焦りからくる足の引っ張り合いも少なくなるはずです。

自己責任化が進んだ都市社会においては、イジメや足の引っ張り合いが横行するのです。

子供のいじめ問題激増は大人社会の反映です。

日本では、生活保護を受けている世帯だけが日常生活において憲法を実感できると言っても過言ではないのかもしれません。

この生活保護世帯には、あまり期待できないという印象が持つ人が多い理由は、人間としての尊厳を失ってまで生きたいとは思わない!という属性の人たちがかなり除かれているためだと推察できます。

この誤魔化しの社会体制によって、資本主義は行き詰まっています。

・「労働」と「環境」を守ることが可能な利益額について再点検すること!
・生命の不安を無くすこと!

商売の基本を取り戻すことも必要

ゼロベースで考えれば、例えば農業や漁業における収穫物も、基本的に地域性を伴っていた商品なので、お世話になっている地元では安く売る。他の地域、遠くの地域でどうしても欲しいという人がいれば送料や手数料を含めた上で、地域ブランド価値も含めて高く売る。

これが商売の基本でしょう。

それなのに、なぜか地元では出回らない商品とか、他の地域で安く売り過ぎている商品とか、そういったことが当たり前のようにあります。

地域の助け合い文化が壊れていたり、自分で価格設定をして商売をしているわけではないために起きていることです。

例えば地元で大根が1本100円だけれど、東京のデパ地下では3000円!なんてことも当たり前の感覚にしないといけない。

地元では真鯛1匹500円~だけど、東京の魚市場で8000円~!なんてことも当たり前の感覚にしなければいけない。

現状、農産物の価格決定のプロセスを、今の日本の資本主義だけに任せてしまうと農家や漁業者、それを支える地域を保護できない状態に陥っているのは誰の目にも明らかでしょう。

地方の「労働」と「環境」を削り取りながら、東京を持ち上げてきたわけです。

価格決定プロセスをどのように変えるか

価格決定のプロセスに、漁業者や農業者と、それを支える地域に対して利益をしっかりと還元するために、新しい価格決定メカニズムを適用する必要があるでしょう。

例えば、売り先地域別の最低価格保障ですね。

供給が需要より、圧倒的に多い市場においては、供給側を保護するために供給量をコントロールするか、最低価格を保障するかの2通りの考えが想定できます。

東京一極集中を支えるために、最低価格ではなくスケールで何とか商売を成り立たせてくれということだったのでしょうか、供給量コントロールだけに頼った結果、農家や漁業者、それを支える地域を保護できなかったということでしょう。

地方が、どれだけ東京や大阪の胃袋を支えているのか、実感してもらった上で、地方にくれば安いよ!ってことが出来れば、地方への人口移転なんて簡単に出来るでしょうという話で、そんなに複雑に考える必要はない。販売先毎に最低価格を設定すべきです。

金融資本主義の恩恵を受けている地域ほど、高くすべきですね。

何か都会の人に勘違いさせ続けた戦後でしたが、地方は身を削り過ぎていたんで、そろそろ価格の話させてもらって良いですか?ってことをしないといけない。

農業漁業も、もっと楽に儲けるべきです。

金融資本はお金を預けておくだけで稼いでいるわけです。日本の銀行もちろんも同じことをしています。

東京では大根1本3000円くらいで買ってもらっても、まだ100倍働いている状態でしょう。

もちろん、地元では安く売っていないと意味がないわけですが、今は地元でも全国相場価格で売ってしまっていることが多い。

最低価格がない中で苦労しているとは思いますが、商売の基本からズレると、その土地の魅力も落ちるわけです。

繰り返しになりますが、

地元ではその地域全体に安く売る。他の地域、遠くの地域ではどうしても欲しいという人がいれば送料や手数料を含めて、さらに地域ブランドも壊さないように商品を整えて高く売る。

これが商売の基本でしょう。

戦後の東京一極集中を支え続けてきた地方ですが、そろそろ地方も自分たちのための生き方を模索すべきです。段階的に進めていけば飲食業界等も十分に対応可能なはずです。

農業、漁業ではないですが、ゾーリンゲンの話でも同様の視点が重要です。

最低価格はコモディズムを支える

商品から「労働」と「環境」という要素を捉えたとすると、地元での販売においては「環境」への恩返しと「労働」の交換、地元以外での販売においては「環境」である地元を繁栄させるため、「労働」を快活に維持出来るようにするため、といった目的設定が想定されます。

衣類や食料といった需要量が大きな商品を取り扱う業界ほど、原価と売値の差が小さい。
純粋にスケールで勝負する業界となっているためです。

よって、本来担保するべき最低価格と売値の差が最も小さくなりやすい。

小さくなるだけでなく、実際には見せかけの+にして、商売の維持が困難な状況へと身を削りながら事業を成り立たせ続けている。
それが、戦後の農業・漁業でしょう。

東京一極集中を支えていたのです。

農業、漁業者の方々は、自分たちで商売を成り立たせていたわけでなく、多くが組合の意向に従っていただけでしょう。

よって、資本主義における正当な価格決定メカニズムが働いていなかったと考えれます。

商売が成り立っていなかったのです。

別の観点から、例えばオークション等でも商材によっては起こり得ることですが、オークションの場合には需要量が小さい商品については最低価格が必要です。

需要量が小さい商材は、オークションに向かないということもあるわけですが、このようなニッチな商材だと、価値があって仮に高額入札希望者がいても、オークション実施タイミングで入札希望者が一人のみであれば、全く価格が上がらないというケースがあります。

つまり、市場にだけ任せたら価値反映されないで価格が付けられてしまうことがあるわけです。

最低限の価格すら維持できないことが十分に想定される商品においては、最低価格を設定出来るようにすべきなのです。

自分で価格設定が出来ないなんて、半分奴隷のような形になってしまう可能性もありますね。

ここに地方衰退の根本原因があるでしょう。

資本主義は、しっかりと「労働」と「環境」が保護されてこそ継続可能です。

よって、今こそ商品主義(コモディズム)を復活させるべきでしょう。

最低価格を設定して農家を守ること!段階的に価格を引き上げて、例えば大根は東京で1本3000円とか、その程度まで考慮すべきと考えます。

東京一極集中を是正するのは簡単ですね。

もちろん、月に一度とかで価格は見直せば良いでしょう。

資本主義社会において金融リバレッジを効かせて稼ぐ力は、当たり前ですが東京が一番!
しかしながら、その生命を握っているのは地方であること、生命力No.1は地方の生産者にあることを、そろそろ示しても良いはずです!

デジタル化が進めば、東京のお金持ちからは大根1本6000円くらいは少なくとも取るようにするべきでしょう。

そのくらい、本当は受け取るべきを受け取らないで日本を支えてきたのが地方の生産者でしょう。

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