神への信仰の維持

サバイバル哲学塾
極限状態において、神への信仰の有無が大きな違いをもたらすことについて、すでに書きましたが、この場合だけでなく日常においても神への信仰が大きな力となって我々を守ります。

 

サバイバルの視点から言っても、人間が幸福に生活するという視点から言っても、神への信仰は不可欠です。

 

何が正しいのか、何が間違っているのか、この判断はどこから来るのでしょうか。

 

人間は自分自身で世界を見渡し、自分を基準として世界を治めるかのように正しいことと間違っていることを決めています。

 

このことについて、真に人間だけの独立した判断によって決められていると考えることもできます。

 

しかしながら、どうでしょうか。もし仮に宇宙や自然といった存在から孤立した人間の判断によるのであれば、非常に空虚な考えの下、世の中の正義が決定されていることになります。

 

正しさの判断には万物を見通すあの方の視点を。それが出来ないからこそ、この視点を少しでも得ることが出来たらという願いが言葉に乗り、生きた判断となるものです。

 

宇宙を見据え、自然を見据え、人間を見据え、考える。

 

そのようにして、神への信仰から見識が生じ、生き生きとした知識が生じるのです。

 

神への信仰の無いところでは、見識が消滅し、求める知識は生命感のないものへと変質していくものです。

 

正しい神への信仰は他者との融和をもたらすと同時に、世の中の常識を疑う見識を芽生えさせ、現実の社会を捉えることの出来る知力を養います。

 

それは、単に学校で優秀だったというものとは違う世の中を導く頭脳を養います。

 

全ての判断、全ての平安をもたらす思考、全ての正義とする思考はどこから出ているのか?

 

そのはじまりは人間ではないのです。

 

思考がそこから外れてしまえば、人間は平安にそして幸福に暮らすことが出来ません。

 

神への信仰を維持しつつ、日常の生活を送るということが本来の人間のやるべきことであり、ここから離れた場合には不安や競争による疲れ、精神衰弱への道が待っているのです。

 

サバイバル思想は最終的に神への信仰の維持に繋がるのです。

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