美しさを求めて

どのような社会が待ち受けているかということについても、まだ、よく考えたり想像したりしたことが無かった時に、ただ単に美しくありたいと願う心ばかりが優先されて、現実には、今の社会がそんな世界とはかけ離れていることについてもあまり深く考えることもなく、また、そのことについて明確に悪い気がしていたということもなく、単に今よりはもっと別の世界があると信じていたあの時に求めていた美しさとは一体何だったのだろうかと、今更そういうことを考えたりします。

 

あの時代においては、つまり単に美しくありたいと願っていた時代においては、美と異なるあらゆるものを否定するような考えをしていましたが、今はそのようには考えていません。

 

現実を捉えた美、現実の上にしっかりと成り立つ美というものはやはり美しく、また周囲を否定することもありません。

 

そういったものを求めていきたいと思います。

 

美しさを感じる時、多くの場合、それ以上の何かを感じます。

 

それが美の源泉だと考えています。

 

ただ単に美しさを求めていた時代に感じていた美も、この点については同様です。

 

見識に関係なく、美しさの背後を我々は感じているために、そして魅了されているために、美しさを求めるのです。

 

美とはそれ単体ではないのです。

 

美とは自然が作り出すもの、その自然のことを人間はまだほとんど分かっていません。

 

ただ美しいものを生み出すものであることを知っています。

 

その美しさを真似て、学んで、自分たちの知へと吸収しているのです。

 

美しさというものは単に、形があるものだけに存在するのではありません。

 

自然界では実際に行われているだろう遠隔通信についても、この美しい発想を現実のものとすべく技術開発が進みましたし、さらに滑らかな通信を実現するために、今後も技術発展が進むことでしょう。

 

美しさを求めるということは、このようなことも含むのです。

 

つまり、美しさを求め続けることは人間がより自然に即して発達を続けるということでもあり、非常に重要なのです。

 

美とはそれだけで、説得力を持つのです。

 

太陽と月

太陽にはパワーがあり、それを浴びるだけで、緊張が和らぐ。

 

心にぽっかりと穴が開いてしまったとき、全てから閉ざされた心地になって身体の調子も落ちていきますが、太陽の前では心はそのままですが、身体にはパワーが注がれます。

 

だから、気が付けば太陽の前を求めている。そういうことになります。

 

太陽は強大なエネルギーを放出しています。

 

このエネルギーを元に我々の地球では沢山の美が誕生しています。

 

我々地球と人類の活動を後押ししているのです。

 

心が閉ざされたとき、心は簡単に治らないけれど、その周りの身体は太陽を受け取ることができます。

 

これを積み重ねることで、少しずつ心にもエネルギーが注がれます。

 

美しさも同様にして少しずつ、形が作られていきます。

 

月には安らぎが宿る。

 

月夜の下では、心に自然の息吹が入る。

 

太陽とは違い、月の下では閉ざされた心に直接あたらしい空気、神聖な空気が入ってきます。

 

鼻腔から胸の奥へと送り込まれるその空気で人間は美しさの背後にある存在の確かさを認知します。

 

だからこれを知らない人は、月がきれいな夜に一人で夜空を見上げて欲しいと思います。

 

そして心にぽっかりと穴が開いてしまった人には、少しずつ太陽と月と向かい合って欲しいと思います。

 

それがまず第一歩になると思います。

 

晴天の日、雪の日

晴天の日には空を見上げ、雪の日にもまた空を見上げましょう。

 

上には美しいものしかないのです。

 

これは日常生活とは大きく異なる世界です。

 

それがすぐ我々の頭上にあるのです。

 

これを見上げることが身近な最大の癒しなのです。

 

このことが分かったら雨の日と曇りの日も上を見上げましょう。

 

そこにも実は、美しいものしかないのです。

 

上を見上げるときに、どこか寝そべれる場所があったら最高です。

 

上から降り注ぐ美しさを身体全体で受け取ることが出来るのです。

 

日常において最高の癒しとなるのではないでしょうか。

 

夜の美

日中に受け取ったエネルギーを実際に美へと変えるのは夜。

 

美しさは夜に作られるのです。

 

これは自然も動物も人間も同じです。

 

美しさは夜作られます。

 

そのエネルギーを昼間に取得しているのです。

 

早朝のアサガオが大変美しいのはこのためです。

 

不自然な生活を送ると早朝が苦しいのです。

 

辛いのです。

 

美しくないのです。

 

今の社会全体にこれが蔓延しているのは、まだまだ社会が未成熟であることによります。

 

集団と孤立

社会は間違います。

 

美についての感覚は完全に得ることは当然出来ていません。

 

この点、社会を信用したらだめなのです。

 

みんなが向こうに行くから・・、格好良いから・・・、流行だから・・・・

 

といってそちらの方向に行くことは美とはかけ離れた方向に進むことがあるのです。

 

残念ながらそれはどこの社会でも同様のことです。

 

みんなが当然と信じていること。

 

それとはかけ離れていることが我々デザイナーにとって心地良いのではないでしょうか。

 

デザインを手がけるものはいつだって美と向き合っていなくていけないのですから。

 

集団が間違うときには孤立する。それで良いのです。

 

自分の歩む道をしっかりと定めることが出来なければ、美を追求する仕事なんて到底無理だと思います。

 




 

美しさと汚らわしさとの接点

人間から美しいものと汚らわしいものが発生します。

 

この源は人間自身の行為、行動、それを裏打つ考えになります。

 

我々が日常生活において目にしている美しいものと汚らわしいものはすべて、我々の考えが源泉となっているのです。

 

ですので、美しいものと汚らわしいものの接点を考える場合に大切なことは、自分自身の考えを整理するべきであるということです。

 

その接点は自分自身の中に存在しているのですから。

 

そのことすらもよく分からないまま、人の汚らわしい点を見つけては、それを問題とするようなことは蛮行と言ってもよいのではないでしょうか。

 

生命の息吹

美しさよりもずっと前、つまり人間が生じる前に生命がこの世に降り立つより前に、まずはじめに生命の息吹が注がれました。

 

何の生命もないものに生命を吹き込んだのです。

 

生命の息吹の目的は究極的には美の体現です。

 

美をこの世においても完全に満たすことを目的としています。

 

ですから、何をやるにせよ、この道から反れたことを始めた場合にこの目的、つまり自然の流れに逆らう動きとなります。

 

その動きには反作用が必ず生じます。

 

その反作用が人類が抱えてきた多くの問題であり、今も同様にして抱えている多くの問題になります。

 

その問題は美とは反対のものばかりを生み出すのです。

 

デザイナーとしての美の探究

美しいデザインを作りたいという本当の心があれば、現在の社会、現在の人類についても洞察力を高めていけます。

 

美の探究は結局のところ、自分以外の世界を認知して、その情報を元に、自分の中でその美しい部分をしっかりと捉えていくということになります。

 

そしてその美しいものは、本当にしっかりとした美しさかどうか、そのあたりをしっかりと見極めていくことが大切です。

 

具体的には本当に自然の流れを受け継いだ美しいものかどうかという点についての判断力、識別力が問われるということです。

 

それはあらゆるデザインに同じことが言えます。

 

家具や日常にインテリア用品、色々な種類の建造物、電子機器のデザイン、洋服のデザイン、インターネット上のサイトデザイン。

 

デザインという言葉はこれ以外にも色々な場面で使われていますが、それらにすべて同じことが言えるはずです。

 

なぜなら、人類が向かっている先、そもそもの存在目的は一つだからです。

 

見た目の対象に違いがあったとしても、問われるのは我々の中身、考えや思想であるためです。

 

本当の意味での美しさとは一体何を基準にしたら、よいのでしょうか。

 

そのことについて、私なりの考えを後ほど示したいと思います。

 

美の認識

美しさということを考えていくと、いつしか、そもそも「美」に関する認識は人によって違う、国によって違う、そして時代によって違うということを把握するようになると思います。

 

認識にはそれぞれの個性があり、それぞれが美しいと感じたものを大切にしたらよいではないか、という意見が上がってきます。

 

それは当然その通りです。

 

認識については各個人で異なるものです。

 

ですが、我々が求めているのはその先にある美の体現なのです。

 

自分の認識を大切にした上で、その「美」本体を可能な限り認識しようと試みますが、それは完全には出来ない。自分の認知能力をさらに向上させて美を捉え、それを実際的なものへとつなげていこうとする試みなのです。

 

その認識の範囲は各個人で違って当然だと思うのです。

 

ただそれぞれに、見ている対象は一緒なのだと思います。

 

表現や見えている範囲は異なっても「美」それ自体が変わることは無いのです。

 

例えば美人という言葉がありますが、多くの人が美人であると思うにせよ、やはり、人によって美の感覚がこの点も異なります。

 

大切なことは各個人、この場合であれば各女性たちが美しさをそれぞれにおいて大切にしているかどうかという点にあります。

 

美しさを大切にしているということは自然に沿った考え方なのです。

 

その美の表現を、多く捉えることの出来た人がその人の最良のパートナーになることが多いのかもしれませんね。

 

美を求めていないということは、非常に悲しいことで自然に沿わない生活になっていくということです。

 

美しい人を好むのは、宇宙の意図、自然の意図なのです。

 

持って生まれた顔かたちに自信がなくとも、美しくありたいという心を捨て去ったら、それは大罪なのです。

 

美意識というのは自然が生じることの本体の意識であり、宇宙創造の意図なのです。

 

この美意識が発達する方向に進まないと人類は多くの反作用を受けるのです。

 

米国で生まれたアップルコンピューターが世界中で人気になるのもあの美しいデザイン、端末のデザイン、コンピュータとしての機能面のデザイン、ソフトウェアとしてのデザイン、それらすべてにおいて抜きん出ていたからです。

 

根源的に人類は、美しさを求めていることを示す例の一つではないでしょうか。

 

人生のデザイン

色々なデザインを手がけ、美しいと感じたものを形にするということをしてきましたが、その美とは既に書いたとおり、それ単体で美しいもの、それから安心できるもの、心に平安が宿るものという視点です。

 

それでは人生についてはどうでしょうか。

 

人生を美と平安に満たされたものにデザインしたいと思いませんか?

 

だれでも幸せな生活を願っている限り、当然美に満たされ、平安に満たされた生活にしたいはずです。

 

ただ、人生の場合、私が扱うインテリアデザインとは異なるところがあります。

 

それは人生はそれ自体すでに実行中であるという点です。

 

例えば私が主にデザインに関わっているナチュラルインテリアなどの商品で新しいデザインを何か作ろうと考えた場合、そのナチュラルインテリアにはまだ命はありません。

 

そこに生命を吹き込むのはデザイナーの仕事です。

 

一方で、人生についてはすでに命が吹き込まれています。

 

人生のデザインについて、考えるというよりは、この人生の美を決定しているのは自分自身の考えや行動であることから、人生については、デザインというよりも、今の現時点での考えや行動が大切になるということになります。

 

現時点で何を考えているのか。どう行動しているのか。

 

人生をデザインするとは、このことでしかありません。

 

人生に設計図は必要ないのです。形で表すことは無理なのです。

 

設計できないからこそ、人生なのです。

 

予想もできない、想像もつかない未来が待ち受けているというのにデザインなんてことは、人生に対しては出来ないのです。

 

人生のデザインは自身の考え、行動になります。

 

その結果、美の道を歩いた人には美が与えられ、平安が与えられるものと思います。

 

私がデザインするナチュラルインテリアもそのような考えで歩いている人の日常の美に少しでも貢献できれば、非常に嬉しいです。

 

心と家

数多くの部屋のインテリアデザインを手がける過程で、実際に人が住む家や部屋を沢山見てきました。

 

大豪邸のような大きな一軒家から、小さなワンルームマンションの部屋まで沢山の部屋を見てきたのですが、その経験から、私は部屋には人の心が表れると感じています。

 

それは、部屋の大きさに関わらずに、その部屋に住む人の心の状態が、部屋には、しっかりと染み付いているのです。

 

大きな部屋、小さな部屋ということに関係なく、お金持ちとかそうではないとかそういうことも関係なく、人の心がそのまま表れる。

 

それが日常生活の部屋だと思います。

 

心を隠すことはできません。

 

そこにある空気に伝わり、そこにある部屋の明るさに伝わり、そこにある部屋の状態に伝わります。

 

人生における混乱は未整理を生み、無駄な物の多い部屋となります。

 

部屋が大きくても、小さくても、お金持ちでも貧しくとも、この点に変わりはありません。

 

自分の住む部屋、今現在住んでいる部屋について、色々な不満がある人も多いと思います。

 

ですが、その部屋は、心がけ次第で劇的に明るい部屋に、整理された綺麗な部屋に、清々しい部屋に生まれ変わることができます。

 

それをとどめているのは、部屋の住人なのです。

 

どのような部屋に住むということであれ、その住むことになった部屋は必ず心の状態が表れてきます。

 

結婚してマンションを買った。家を買った。

 

その10年後、その家はその住人の心がしっかりと表れるのです。

 

マンションを買った。一軒家を買った。

 

そういうことが、ゴールではないのです。

 

安易に、人によって作られたゴールを目指すのではなくて、もっと自分らしく生きられるための部屋作りに目を向けてほしいと私は感じることが多くありましたし、今後もそれはおそらく数多くあると思います。

 

部屋。

 

いつも居る場所だからこそ、もっと大切に、もっと気を使って。

 

清々しい毎日を送ることのできるようにしたいものです。

 

そして、普段から心を大切にすること。

 

常に学び、考え、自分の心に正直に向きあうこと。

 

そういう日常があれば、きっと部屋はもっと簡素に、そして綺麗になり、整理整頓された部屋を日常の部屋とすることが出来るのだと思います。

 

時間がかかることもあるかもしれません。

 

ですが、少しずつ、心は部屋に伝わっていくはずです。

 

四季

インテリアを考える上で、「季節」や「気候」は大切な要素になります。

 

春・夏・秋・冬。

 

日本人は、この季節ごとに色をイメージし、美しさをイメージし、涼しさや温かさをイメージします。

 

もちろん、始まりや終わりということをイメージすることだってあります。

 

季節ごとの美は、体内に影響を与えます。

 

身体は季節ごとに好みを変え、季節ごとに必要なものを得ていきます。

 

この身体全体の意向を汲み取って、インテリアに落とし込んでいく必要があるのです。

 

それが、心地良さや安心感を与え、美しさの伴うインテリアにつながります。

 

季節に応じたインテリアの配置。この事が、デザイナーには大変重要となりますが、その一方で、大きな変化がインテリアデザインの世界に起こっています。

 

それは、グローバル化によるものです。

 

このグローバル化によって、インテリアは大きな進化をさらに遂げていくと考えています。

 

季節ごとにマッチしたインテリア、その土地の気候に合ったインテリア、つまり、ナチュラルインテリアという方針が、美を獲得するために絶対的に欠かせないのですが、各土地の気候にも十分対応可能な海外のインテリアを取り入れることが可能な時代となったのです。

 

有名なところでは、お近く中国や韓国、東南アジア諸国のアジアンティストのインテリアや、アメリカ、あるいはヨーロッパ諸国の伝統的インテリア、北欧インテリアなど、それぞれの良いところを取り入れることが可能な時代となりました。

 

必ずしも国内の伝統的ナチュラルインテリアだけが、最上位の選択になるかといえば、必ずしもそうではなくなったのです。

 

さらに、技術が発達したことで、単にナチュラルなものだけでなく、化学的な力を家具各所に取り入れることによって、ナチュラルさが長持ちする、ナチュラルインテリアを獲得することが出来るようになったのです。

 

四季を見据えて、国内のインテリア家具だけでなく、各国のインテリア家具も選択範囲に取り込みましょう。

 

例えば、北海道や東北地方など、冬にかなり寒くなるような地域の場合、世界に目を広げれば、北欧インテリアなどを考慮に入れることが出来るようになったのです。

 

使命

人それぞれ、大なり小なりの使命を持ってこの世に誕生しています。

 

この使命を果たすことが、その人の人生を前進させることになるのです。

 

その人の人生だけでなく、世の中全体、社会全体にとって大切なことが成し遂げられたときに、その人は心の底からの幸福を感じることができます。

 

この世に生まれてきた自分自身の使命についてですら、今の日本人の多くは考えることがありません。

 

もちろん、考える人が存在することは否定しませんし、確かに存在すると思います。

 

ですが、それは一部の人たちに限定されるのです。

 

この使命というものは、このこと自体について、しっかりと思いを込めてきた人でないと、明確になっていないものです。

 

自分自身が持っている使命を仮に自覚しているのであれば、その使命にそったインテリアを選ぶ必要があります。

 

逆にこの自覚が無い人は、自分自身の願望に問いかけることでしか、何が適切な選択なのかを判断することはできません。

 

和み、寛ぎ、団らん、知性、霊性、活動、色々な観点、色々な人生のテーマによって、自分がどのようなものを求めているのかを整理し、心の奥底から求めているものを、しっかりと楽しむことのできるインテリアデザインにする必要があるのです。

 

ナチュラルなデザインということを多く話すことが多いのですが、私自身が大切にする「ナチュラルインテリア」とは、実はこういう精神面での本当の願望を自然と一致させた形にするという意味も込めています。

 

その意味も含めて、ナチュラルインテリデザイナーと私は名乗っているつもりです。

 

使命に沿ったインテリアにすることが、自然でありナチュラルであるのです。

 

逆に使命に逆行するようなものであって、かつそれが一般的に自然美に包まれていた場合、そのインテリアデザインは「ナチュラル」さを保てられているのでしょうか。

 

それはケースによって違ってくると思いますが、簡単に答えを出せる話でもないと考えます。

 

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