エリート教育のタブー。一流大学を出てもエリートになれない理由。

エリート教育のタブーについて

そもそも、高学歴=エリート?

「良い大学に行けばエリートだ!」

「学歴を得れば、エリートとして生きることが出来る!」

「だから、沢山勉強して一流大学へ行こう!」

 

そういった思いをどこかで持っている子供たちは多いと思います。

 

学歴社会、学歴志向のイメージを子供に植え付けて勉強させています。

 

子供の頃に勉強させる方法としては、有効に機能する方法だと思います。

 

ですが、その勉強は思考型の勉強ではないですよね。

 

それから、エリート教育でもない。

 

つまり、使われる人間としてベストな大人になるための教育になっていることが多い。

 

自分では考えないけれど、記憶力が良く、正確に動けること。

 

使う側が最も求めるタイプの人間の特徴です。

 

こういうタイプの人間を養成しているのが今の学校教育です。

 

つまり、エリートサラリーマンとかエリート官僚を目指しているわけであって、社会の新しい価値を創造していくような本格エリートを養成しているわけではないです。

 

その意味するところは簡単に言うと、使われる側なのか、使う側なのかという違いがあるってことです。

 

労働者なのか、資本家なのかという違いがあります。

 

真のエリート教育は資本家側になる教育のことです。

 

資本家は、お金に近い所にいる人たち、つまり経営者とか政治家とか医師といった職業が該当すると思います。

 

本格的なエリート教育に近いことをやっている大学もあるのかもしれませんが、実際には企業の要請に応じているのが実情と思います。

 

だから、多くの人が一流大学を出ても本格的なエリートにはなれない。

 

つまり、お金持ちになることは出来ないということです。

 

学歴社会における高学歴と低学歴の差は労働者として、お金をどれだけ得ることが出来るかという戦いの中における差でしかないということです。

 

だから、資本家と労働者の格差よりも、ハッキリ言って大差ないってわけです。

 

そういうことがあって、ちょっと勘違いしている人が多いんじゃないかな?という思いから以下の記事を書いたことがあります。
学歴と年収について

 

ただし、もちろん例外があって、その中でも大企業の経営トップにまで出世した人は資本家側になったということになりますね。

 

ですが、日本企業の場合、労働者の延長線上にある経営者になるので、その個人単独で社会に何らかの大きな影響をもたらすようなことにはなりません。

 

どちらかというとサラリーマン人生の成功イメージを形作っているところがあるように思います。

 

強い影響力を持つのは自分で創業した人だけです。

 

自分で創業して大企業を作れた人で、かつ長期に渡って事業を継続させることのできる知性に恵まれている人、こういう人は本当のエリートだと思います。

 

今の日本だと楽天の三木谷さんが最初に思い浮かびます。

 

一方で、高学歴とエリート感覚を強く結びつけて育った人ほど、大人になってから、そのエリート意識と現実とのギャップを感じることが多くなるはずです。

 

この点が今、私が問題だと思っているポイントでもあります。

 

それは、その「ギャップ」についてです。

 

ギャップをなぜ感じてしまうか。

 

それは、「お金」について教育されていないためだと思います。

 

「お金」について教育されていないということは、エリートとして必要な教養が身に付いていないということです。

 

こういう無教養の高学歴のサラリーマンで覆われているのが今の日本の実情です。

 

だから、お金の話が分からないサラリーマン、お金の動きを意識できないサラリーマンが沢山いるのです。

 

それは学歴に関係ありません。みんな教育を受けていないからです。

 

お金の教育をされていないサラリーマン社会で起きること

「お金」について教育されていないサラリーマンは教養がないです。

 

教養がないとどうなるか?

 

人に迷惑をかけます。

 

人に迷惑さえかけなければ、教養の有無は問題になりません。

 

でも、教養がないために人に迷惑をかけてしまうのであれば、問題です。

 

特に「お金」を人から奪ってしまうようなことになっているのであれば、それは本当に問題ですが、この問題がサラリーマン社会では当たり前のように小さな形で起きています。

 

「呑み会」「懇親会」「忘年会」「新年会」「お花見」。

 

色々なイベントがあることでしょう。

 

それらは仕事の延長線上にあるようにみせかけて、なぜか会社負担ではなく自己負担である場合も多い。

 

自己負担が当たり前になっている職場も多いことでしょう。

 

その上、出向先に常駐しているような企業では、出向先社員さんと呑み会を設定した挙句に、お金の話は全くしないまま出欠確認をして人を集めた上で、その後にメールで飲み会費用を伝達!なんてケースも発生します。

 

「えっ、お金取るの?招待とか接待かと思った。。。」なんて経験をしたことのある人もいるはずです。

 

教養がない人が取りまとめると、そのような事になります。

 

そんな教養がない人の所属企業も一応、上場していたりします。

 

つまり、学歴などにプライドを持っている層でも普通にこういうことを引き起こしてしまいます。

 

ちゃんとした教養とか経験のある人がお客様対応の中心に立っていない場合には、こういう事が起きます。

 

私も現場でこの類いのことで呆れている人を見たことがありますね。

 

お金について分かっている人と、分かっていない人。大きく分かれています。

 

一人暮らしの新人さんで、まだお金がない人に対しても無理やり呑み会に誘った挙句に、おごることもしない先輩社員も多いことでしょう。

 

なんとなく輪から外れたくないために、無理やり参加して厳しい思いをしている人もいることと思います。

 

そして、こういうサラリーマン社会で生活していると「お金」とか「時間」について配慮のない考え方を持つことになります。

 

だから、人から時間を奪うことを平気でお願いしたり、お金を負担させるようなことをお願いしたりするようになります。

 

無教養な大人の出来上がりというわけです。

 

これでは完全にエリートと断絶です。

 

ありえないわけです。

 

その上、問題になっていることが、独身者が増えていることにあります。

 

30代とか40代になっても、若い時と同じような感じで結婚している人に自分が休暇になると遊びに行ってもいい?みたいなことを聞いたりする人いますよね。

 

その上で、さらに相手に普通にお金を使わせるような企画を持っていく人。

 

んで、相手に払ってもらうのが当たり前みたいになっている人がいます。

 

お金の教養もなく、知性面でも低い状態だと、時間もお金も平気で相手に負担させてしまうわけです。

 

こういう人って、意外に結構います。

 

どこかで「お金なんかいいじゃん!」みたいな人です。

 

こういう大人って「盗む」とか「奪う」ということも、普通に出来てしまいます。

 

そういう精神構造です。

 

お金に対する意識が低いから、十分あり得ます。

 

「盗む」とか「奪う」って言葉を聞くと、そんなの自分の日常では有り得ない!と感じる人も多いと思います。

 

でも、考えてみてください。

 

「盗む」とか「奪う」って、身近な人であるほど本当に普通に起きたりしますよ。

 

それが財産分与だったり、会計処理とか確定申告まわりで詳しい人に長年お願いしていたりするタイミングで発生します。

 

こういう時に、そういうタイプの人はあまり悪いとも思わずに普通に盗みますよ。

 

そういうことがあるので、こういう点について書いたこともありましたね。
節税の落とし穴 親族や友人には気を付けよ

 

芸能界でも結構、こういう話題が出てきますよね。

 

「盗む」人って、本当に普通にいます。

 

意識出来ていない事業主の人は、一度点検しましょうね。

 

 

日本の高学歴がショボい理由

お金の教育がされていないために、サラリーマン社会で起きていることについて書きましたが、こういうサラリーマンでさえエリート意識があるのです。

 

なぜなら学歴社会でプライドを植え付けられて教育されてきたためです。

 

その上で大人になると勉強しない。

 

勉強しないから、将来を見越しても、そんな人には期待がない。怖さがないのです。

 

勉強しないから自分にお金の教養がない事も気が付かない。疑問に思わない。

 

それがショボさの根本にあることだと思います。

 

実際、勉強を続けている人はお金についても社会の裏側まで見通すようになってきます。

 

生きている世界、見えている世界が全然違うようになってきます。

 

つまり、それはIQが全然違うということ。

 

IQの違いが大きいため、ショボさを感じやすくなるのです。

 

 

本格エリート教育が隠された理由

それでは日本において資本家を養成するような「エリート教育」は、どこで行われているのでしょうか。

 

社会を引っ張っていくような人材になっていくことを想定した教育はどのようにして行われているのでしょうか。

 

そういう教育が見当たりません。

 

そういう教育自体、国家レベルでの公共性を維持できないと思います。

 

だから、まぁ「タブー」みたいな感じになっていることもあります。

 

「タブー」だけれど、現実的に必要な部分もあると思います。

 

経営者として選抜された素材を社会としても残さなければいけない部分があります。

 

それから、親であれば、自分の子にも自分と同じようにエリート街道を歩んで欲しいはずです。

 

経営者、政治家、医者への道について、世襲が進んだ理由がここにあります。

 

そして、こういった同じような種類の思いを持つ親たちが好んだ私立エリート校。

 

こういう学校が日本にもありますね。

 

こういった学校の中でも幼稚舎から大学まで一貫教育をしているような私立学校は本格エリート保存の色合いが特に濃くなります。

 

こういった学校はサラリーマンエリートを養成する学校教育の現実と、自分の子供に授けたい教育の現実との間をうまく取り持った機能を持つ学校として機能することになったと思われます。

 

そのような環境をうまく活用して、エリートにはエリート教育が伝承されているように思います。

 

その意味は学校だけではなく、学校外の教育も含めてのことです。

 

受験勉強でゴリゴリになっている時点で、本格エリート路線からは外れている現実があるということです。

 

そして、それは自ら外れたわけではなく、生まれた時に外れていたというところに、タブーでなければならない理由、本格エリート教育が隠される理由があるように思います。

 

とはいっても、腹黒い何かがあるわけではなく、単に少しでも良い環境を子供に与えたいという親であれば当たり前の思いが、そのような学校のステータスを高めていったということだと思います。

 

そして、それが維持されているところに、それなりに社会的な役割があることが示されているようにも思えます。

 

個人でビジネスをする際にも、こういった本格エリートとか経営者などの言葉から学ぶところが大きいはずです。

 

そういう言葉を出来る限り得て、マインドセットを整えていきたものです。

 

30代40代、婚活で気を付けたいエリート意識

婚活で相手を選ぶとき、女性はエリートであること重視しやすいです。

 

仕方ないことだと思いますが、注意したい点もあります。

 

それは、婚活しても結婚できない女性の特徴は、この相手に求めるエリートのイメージが本格エリートになっている場合があるからです。

 

もちろん、これが悪いわけじゃないです。

 

自分がそういった位置にいたり、容姿や教養などに自信があったりして、そうなっているのであれば良いと思いますが、なんとなくイメージ先行で、そういう本格エリートを求めている人がいますよね。

 

自分には教養もなく、学歴も際立っているわけではないのに。

 

で、夢見て年老いていくみたいな。。。

 

結婚を目的にしているなら、これはヤバイですよね。

 

それから、結婚できない人の特徴は相手を「評価する」ことですね。

 

相手をまずラベルで評価してしまう。それ自体は仕方ない部分があります。

 

でも、そのラベルで自分の評価を全くしていないことが多い。

 

その上で、自分だけは特別だと思い込んでしまうとマズい。イタイ感じになっているとマズイです。

 

こういう女性に限って、多くの男性が好まないような体形になっていることがあります。

 

人を評価ばかりしている人とか、人をラベル付けして始めから見下している人って、私の経験上も色々な問題が外形的にも表れていることが多い。

 

それから、本当はそういう人の方が家庭に問題を抱えている場合が多いです。

 

人間なんて、本当に分からないことの方が多い。

 

基本的に相手を信頼して思いやりを持って接することが出来ないと、人間として色々な問題が次々に出てくるはずです。

 

そもそも、婚活するなら自分のことを客観的に知っておいた方が良いです。

 

客観的にというのは自分の家柄とか、過去に家庭であったことなどです。

 

相手が良い家柄であるほどに、家柄については結婚前にご両親が調査します。

 

人の家のことばかり評価する頭で、自分の家を評価してみたら、とてもじゃないけど、私なんか・・・っていう家に所属していたなんて事実に気が付くことになった人もいるようです。

 

それくらいに自分のことは知らないわけです。

 

それなのに人のことは評価するんですよね。

 

頭でわかっても、常に人を評価してしまうんですよね。

 

それから、常に人と自分を比較する人もいます。

 

ガチガチに偏差値型の教育を植え付けられてしまうと、このようになりやすいです。

 

評価する行為を前提として、比較行為もサラリーマン社会、学歴社会では中心になるからです。

 

それを日常の他者に向けてしまいやすい考え方になっているということです。

 

あいつよりも、あの子よりも、私の方が上だ!という意識も強くなりやすいです。

 

そういう視点で人をラベル付けして評価して、選択していく人が出やすい。

 

お金の教養が枯渇しているとそうなります。

 

こういうレベルにある人たちって、「一流」と呼ばれる大学に入れたとしても本格「エリート」には程遠い。

 

教養もない。お金の教養も含めて全部不足している感じの人が多くなります。

 

それで自分のことは棚に上げて人のことばかり評価していたら、不幸になるに決まっているわけです。

 

なぜかって、相手からも同じように評価されることになるからです。

 

その時に、あなたに特別なものなんかないはずです。サラリーマンとして何かプライドを持っているとかそういうことしかないはずです。

 

だから、同じように評価されるのです。自分がやっていることと同じことが返ってきます。

 

要は、そういうことばかりしていて幸せですか?ってことです。

 

自分より上を持ち上げる一方で、同じようにして見下されている場合もあるってことです。

 

そして、自分も自分より下には見下しているわけです。

 

だから、さらに評価したり比較したりするようになります。

 

終わらない不幸のはじまりです。一番不幸になってしまいやすいのです。

 

全てはお金についての教育を受けていないために、ドツボにハマっているということです。

 

お金の教養がないエリート意識は本当に苦しいだけのはずです。

 

エリートになることは出来ないエリート意識を継続させなければいけないからです。

 

これは消耗戦です。まだ東京と学歴で消耗してるの?って感じですね。

 

目指せ!エリート!!

生まれた時にすでにエリート路線じゃないなら、自分でコツコツ資産を積み上げていくしかないです。

 

資本家側になるために必要なことは、サラリーマン生活を続けることではないです。これは絶対です。

 

資産を積み上げていかないといけない。

 

サイト運営だったり、何らかのビジネスだったりで、そういう資産を作っていかないといけないですよね。

 

まずは、サラリーマン生活の当たり前、常識は、非常識だと思った方が良いというくらいに違いがあるはずです。

 

だから、まずはそういう点で自己否定が必要と思います。

 

自分のサラリーマン根性を否定すべきときが来るってことです。

 

資本家に向けて少しでも歩みを進めていく過程で、これは絶対に必要になるはずです。そして、もしそのマインド転換をするなら、付き合う人も変わっていくはず。

 

サラリーマンの友達は、だいたいサラリーマンです。

 

資本家の友達は、だいたい資本家。そういうことです。

 

だから、変わる時にはとりあえず孤独になる。完全に断ち切る。ある点での自己否定をする。これがないと変えることは不可能と思います。

 

そのままということです。

 

それに、それでも普通に生活したら引き戻されます。

 

子供の頃からずっと続いていた考え方や環境を変えることは本当に難しいからです。

 

それを示すかのように「子供部屋おじさん」なんて言葉が話題になっていたりします。「子供部屋おじさん」なら、まず無理でしょうね。

 

そのままでは。

 

とりあえず、環境をぶっちぎりで変える以外にない。

 

それがどうしても嫌なら、止めておいた方がいいと本気で思います。メンタルが一番大切ですからね。

 

そして、こういう人の方が実際には多いはずです。これが多くの場合に一流大学を出てもエリートになれない理由でしょうね。

関連記事:個人でビジネスを立ち上げる時の注意点