過去の大天才がダサく見える理由


有名な文学作品を残した過去の大天才。

 

彼らの作品を読んで「なんか、レベル低いな。。。」って思ったことはないですか?

 

こんな低俗な精神世界で生きていたのかと。

 

そういう印象を持ったことがある人もいるはずです。

 

自分以外のことをリアルに感じることが出来ない状況では仕方ない部分もあるでしょうね。

 

人類の「知」は積み上げですから。

 

過去の知が描き出す精神世界が、今の知で描く精神世界よりも遅れているように感じてしまうことは当たり前に起こることです。

 

もちろん、過去の豊かな感覚を呼び起こすこともあるわけですが、それでも時代とともに進展する部分はいつもどこかにあるわけです。

 

例えば、今のネット環境が無かった時代、そういう子供時代を私も過ごしていましたが、今よりも人との交流に喜びや温かみや自然感があったように思います。

 

今でも当時のように豊かな精神世界で生きている人もいるのでしょうね。

 

仮にそうであったとしても、人間としての願望は便利さを求めます。

 

いずれ進展します。

 

つまり、いずれ人類の経験から色々なことが消え去っていくことになります。

 

この経験を整理して残すことに価値があるわけです。

 

後から「ダサい!」と思うような精神世界をリアルに感じることが出来るように素材を残しておくことは価値があります。

 

人類としての資産になるかどうかは、情報の受け手次第。

 

「ダサい!」だけど、その時代には最高の頭脳だった。

 

そういう時空を超えた天才の結び付きを捉えていくことの出来る「知」。

 

このレベルに到達して、はじめて「知的な人」という感じがしますが、今はこういう人っていますかね。

 

ポジトークばかりの酔っ払い学者ばかりが、いつもテレビに出て注目されてないですか?

 

そんな状況下、人生においてテレビを見る価値はマイナスしかないです。

 

せめてネットで見るべきです。

 

これからは2つとか3つのチャンネルを同時に見るのが当たり前の時代。

 

個人でも4つとか5つ、多ければ8つとかを同時に見るような時代になるはずです。

 

20とかのチャンネルをスマートに同時に見れるようになったら、情報入手のツールとして私も使いたくなるかもしれません。

 

そうなったら、私もテレビを見るようになるかもしれません。

 

そのような時代になったとして、今の自分が捉えている世界とか、過去の文学作品で描かれている世界とか、そこで生きている人々の心をしっかりと捉えていく力を維持できるでしょうか。

 

非常に難しいことだと思います。

 

私自身は出来ると思っていますけどね。

 

ただ、経験を積み上げていないといけない。

 

本やテレビだけでは絶対に見えてこない。

 

自分で経験をしていない人は、極端に理解度が下がっていく環境になっていくはずです。

 

なぜなら、目の前の世界はこれまでによりもさらに大きく早く変わっていくからです。

 

その流れに付いていけるとか付いていけないとか、そういう問題ではなくて、過去のことがリアルに想像できない。そして人のことも同様に分からない状況になっていくことになります。

 

そこでは経験のある人だけが変化の中で知的な世界を維持できるようになっていくはずです。

 

つまり、経験力と知力がセットになっていないとダメになっていくということ。

 

でも実際には、この両方を維持することも、かなり難しいのかもしれません。

 

ですので、机上の空論ばかりが世の中に蔓延する時代になっていくことが想定できます。

 

その空論ばかりになってしまう人ほど、過去の大天才をダサく感じることになるはずです。

 

全く想像が付かない世界で、リアルに感じることも全くできない上に、物理環境が過去のもので古臭いからです。

 

この空論に紐付けされるのは、例えば意図的な炎上案件、極端な下ネタ案件です。

 

こういったモノばかりで世界を埋め尽くす企ても多くなっていくでしょうね。

 

この空論ですが、どこで発展するか?

 

その中心地が日本で言えば「東京」でしょうね。

 

まぁ、「大阪」も同様でしょうけれど。

 

つまり、偏差値が高い!だけど、頭が全然良くない!ってことを多くの人が感じる時代になっていくはずです。

 

このようにして都市は衰退していきます。

 

その衰退は見える人にはよく見えるけれども、見えない人にはとても見えにくいはずです。

 

なぜなら、大きな富を持つ者たちがマスメディアを握っているからです。

 

その富に魅せられ、誰もが媚びを売るようになる世界。

 

時空を超えた知性の世界とは断絶していく都市の姿がそこにはあるはずです。

 

偏差値消耗組が天下を取ったかのようにして空論ばかりを発信するようになった時、1%の富裕層と99%の庶民という構図は今よりも明確になっているはずです。

 

庶民かつ天下人としての偏差値消耗組の消耗感が今よりも明確になるってことです。

 

こんな状況に近付くほど、学問の言説も1%に媚びを売るような案件が多くなっていくはずです。

 

ポジトークばかりになるということです。

 

そこに劣化した「知性」しかないです。

 

よって、知的な層にも中国人やインド人などの世界レベルで頭の良い人材がこの国を覆い始めることになるのかもしれません。

 

その時に明確に証明されることになることは、日本人は元々穏やかで行儀良く礼儀正しくて、災害があっても暴動などに発展したり、混乱したりしないなどといった空想世界は妄想だということです。

 

日本人でも、どうしようもない人はいつの時代もいるのです。

 

他人のこと、過去の人のこと、昔の大天才。

 

全てに対して自分の感情を捉えながらも、全くそうではない視点から見ることができない。

 

例えば、それは不足と充足の状態のどちらも自分のことのようにリアルに捉えることが出来る一方で、そのどちらからも明確に独立した知性を得ているから、知性的な人という位置付けになるはずですが、今の状況は充足状態の自分を真に受け、あるいは不足状態の自分を真に受けて、ただポジトークで戦っているだけの人々。この群れ。

 

金儲けばかりの人なら別に良いのですが、知性を売り物にする人々もそこ入ってしまったこと。

 

この無教養さ、分別の無さが痛々しい限りです。

 

これが以前から書いている苦難の道を歩む人々の典型例ですが、知性を売り歩く人々まで丸のみにする国が出来上がるとは、劣化具合も深刻です。

 

もう一段レベルを上げてこないと話にならない。

 

そういう状態です。

 

過去の大天才をダサいと言っている学者、見下している学者。

 

それから、自己感情で描く世界とは別の世界があるのかしらと言って無思考に陥っている学者。

 

そもそも「知的な人」、そういう層にまだ到達していないのですよ。それが国家知の名誉だったとすればヤバすぎるでしょう。

 

まず経験を積み、学びを続けるという当たり前のことをしなさいという話です。

 

偏差値消耗組で一番のラベルを得たからといって、誰でも相手にしてくれるという思いを持つべきではないのですよ。

 

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