一番自由な稼ぎ方とは。全てから自由になる道を切り拓け!!


一番自由度の高いお金の稼ぎ方は、どんな稼ぎ方でしょうか。

 

「自由」であること。

 

つまり、制限や不自由を感じないこと。

 

不快を感じないこと。

 

出来るだけ心地良い稼ぎ方であること。

 

ストレス、プレッシャーもなく、気持ちよくマイペースで進めることが出来ること。

 

こういう種類の稼ぎ方になると思います。

 

時間や締め切りに追われ、人間関係のストレス、ノルマなどのプレッシャー、他人との比較、競争、こういうもので毎日が覆われていく仕事に自由など感じることはないでしょう。

 

つまり、サラリーマン、従業員に自由な働き方など存在しません。

 

残念!

 

であれば、一番自由な稼ぎ方、一番自由なお金儲けの方法はどのようなものか?

 

これは人それぞれ感じ方が違うので、同じ方法になるはずない。

 

一番自由な稼ぎ方を知っているのは、あなたの心だけだということです。

 

人によって感じ方に違いはあるものの、ストレスや思いは伝染していくものです。

 

つまり、自由になりたいと思っている人の隣には、同じような思いを持つ人が多いということです。

 

制約、不自由を感じている人が集うことになりやすい。

 

それから、個人の心は無いものとして処理される考え方が経済社会の中心にあります。

 

心の時代と呼ばれるようになっても、実社会の仕組みはそのように機能しています。

 

メンタルケアなど色々な取り組みを取り入れながら企業も動いていることがありますが、企業活動の正常な稼働状態において従業員の判断ではなく、企業側の判断や決定が絶対的な中心軸に成らざるを得ないということです。

 

当たり前のことです。

 

よって、従業員である限り、自分の心には無い判断や考え方に従うタイミングが出てくるはずです。

 

従うことしか経験したことがない人や常に保身ばかりで生きてきた人であれば、仮に犯罪を強要されたとしても、その命令に従ってしまうことがあります。

 

それほどまでに判断力が不自由になってしまっているケースがあります。

 

それが事件などと関連して明るみに出たこともありました。まだ記憶に新しいところだと思います。

 

その裏にあることは、事柄に対する考え方や判断の絶対的な押し付け、社会的ポジションを利用した圧力です。

 

それから、それを受け取る側の絶対的な保身です。

 

これらは一企業内だけでなく、社会全体に共通して多かれ少なかれ存在するものです。

 

よって、このような力に対して、学問が常に役割を果たすべきところなのですが、既に学問の領域においても、その対応力が無くなっているだけでなく、学問をしていたはずの人々が、学問ではなく社会的ポジション取りを最優先にして行動し始めたのではないかと思われる状況になりつつあります。

 

つまり、知的空間や精神空間に対して一定の力が認められていたはずの分野でその力が喪失されつつあるだけでなく、考え方や判断の押し付け、それから社会的ポジションを利用した圧力を彼らが盲目的に後押ししている状況になっています。

 

そういう状況なので、「自由」について考える価値が非常に大きくなっています。

 

「自由」

 

自由には色々な要素があります。

 

それぞれの要素において、自分の自由の拡大を考えるべき時期にきていると思います。

 

それは「地方移住」という話題から考えることもできますし、選択や時間という点から考えることもできます。

 

空間を重視することもできます。

 

心や思考、思想から考慮することもできます。

 

移動から考えることもできるでしょう。

 

もっと原始的な点、例えば炎で獲得した自由から考えたり、保存のアイデアから得た自由から考えたりすることも可能でしょう。

 

自由!平等!

 

これに手を伸ばすことが大切だったはずなのに、今は全く自由もなく、平等も見えてこない。そう思う人が多くなっているはずです。

 

そんな世界が目の前にあるというのに、自由だろ!平等だろ!という言葉を聞くときにはなぜか常にまず圧力を感じる時代。急かされる時代。

 

こういった息苦しさを感じている人であれば、今こそ自分の「自由」を考えた方が良いと思います。

 

そこには稼ぐこと、お金儲けすることが必ずついて回ります。

 

なぜなら、圧力をかけている人々もそうであるように、お金を追い求めている最中のポジション取りから発生するマウンティングが影響して強烈な息苦しさが生じているためです。

 

そのマウンティングには既に仕組み化されていることも当然あります。

 

「お金」という表現は露骨なのかもしれないけれど、結局何があるのかと言えば、「お金」争奪戦上のポジションを前提に発生するマウント、態度、プライドになるということ。

 

学歴でカモフラージュが行われたり、経済力で確からしさが表現されたり、その他社会的ステータスで一つの正しさがばらまかれます。

 

そこに自由を感じなくなった時代。

 

時代や人々とは交わらない言葉が、主流派の言葉として垂れ流されていく。

 

この感じは何なのだろう。

 

そう。それは組織の末期状態。

 

そこにいる人々は、もう反発することもなく、大した気力もなく、積極性もない。流されるままに毎日をこなしていく状態。

 

諦めている状態です。実際、無視で良いのです。

 

そんな状況だからこそ、自分の自由について考えることで目覚めることもあると思います。

 

今こそ、自分一人だけでも心地よい時空間、希望ある世界を取り戻すべきです!

 

そこにいなければ、この世で「人」の役割を果たすことなど出来ないのだから。

 

これは社会で虐げられている人たちだけでなく、勝ち組であったはずの人たちも含めて同様です。

 

不自由な世界に包まれているのです。

 

マウンティングする側、される側、どちらも不自由の中に陥っていることに気が付かなければいけません。

 

一番自由な稼ぎ方を考える上で、この客観性が大前提として必要だと思います。

 

勝ち組と負け組があって、勝ち組になったら自由!という社会状況では全くないです。

 

一般に勝ち組と考えられている層、負け組と考えられている層、全て実は負け組です。

 

勝ち組は常に自由な人々のことを言うものですから。

 

その自由とは色々な自由があります。

 

そして自由は努力を求める性質があります。

 

なぜなら、そのようにして人類は自由を獲得してきたからです。

 

そうであれば、取り戻す自由と新たに獲得する自由。

 

この2つの側面をさらに具体的に掘り下げる上で、以下参考になると思います。

全てから自由になりたい!太陽から学ぶべき理由