【日常】言語との対峙
勤勉だった兄の影響もあり、子供の頃の私は、言葉を覚えるのが非常に早い方だったと思います。
早いうちに読み書きという言葉の扱いをある程度、自由に出来るようになっていたことは、戦後の生活に大きく影響を与えました。
毎日、色々な本や雑誌、新聞など活字が存在するものであれば、何でも読みました。
何でも読んでいたため、高校生程度の数学や物理などの知識も今の私にはあります。
経済や政治に関する知識も同様です。
戦後、時代とともに書物は簡単に手に入るようになりました。
色々なところに捨てられているのです。これは今も変わらないでしょう。
思想や哲学、宗教などから漫画、話し方についての本や、コミュニケーション、料理本や、運動の本、小説など、とにかく色々な本を読みました。
だから、外で生活していたのにも関わらず、私には数多くの知識があると思います。
間違いなく言えることは、私は兄から教えてもらった火起こしなどのサバイバル術以外に、この言葉の扱いを知らなかったら、生き延びることは出来なかったと思います。
言葉があるから、筋道を付けて心を前に向けることが出来た。
沈んでいる期間でも、言葉があるから明確さを保つことが出来たのだと思います。
言葉には、心が込められて、その言葉は大きな力を発揮するものです。
勉強というと、嫌がられることが多いと思いますが、サバイバル術を身に付けるという点から、生き抜くという点からも言葉は非常に重要なものだという認識を、多くの若者になるべく早い段階で気付いて欲しいと思います。
人の上に立ちたいから、学歴を高くしたいから、知的で格好がいいから、議論で負けたくないから、愛する人にこちらを向いて欲しいから。
色々な理由で言葉を学ぼうとすると思いますが、言葉を学ぶということは生き抜く力を身に付けるために、より良く生きるために、絶対に欠かせないものだと思います。
言葉を疎かにするということは、人生を疎かにしていることと同様です。
学ぶ機会があるにも関わらず、言葉を疎かにするという姿勢は、神様を疎かにしているのです。
このようなことは絶対にあってはならないとわたしは思うのです。
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